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鬱病pizzaが救われた曲③Speed/Ken

私は、L’Arc-en-Cielがだいすきだ。

私が小学5~6年生の頃にあたる1998年は、L'Arc-en-Cielの年と言っていいほどの大活躍で、シングル3枚同時発売(HONEY、花葬、浸食~lose control~)が話題を呼んだ。世間がROCKブームになっていて、今で言うと”ヴィジュアル系”とカテゴライズされるようなバンドを中心に音楽界が盛り上がっていた。

当時はカテゴリーなんて、なんのこっちゃ分からないまま”いい!”と思って聴いていた私。


2000年代に入ると、そのROCKブームが一旦落ち着いてしまう。L'Arcも、活動休止に入ってしまった。vocalのhydeさんは”HYDE”名義でソロ活動をはじめ、ひとりでミュージックステーションに出てきたときは正直悲しかった。寂しかった。


休止中、L’Arc-en-Cielは全員がソロ活動をしていた。私は追わないようにしていた、というより、他の音楽に出会ったりして(このとき、中島美嘉さんという新たなすきなひとを見つけた)、L’Arcには期待しないようにしていた。


高校生の頃、L’Arc-en-Cielが活動再開したことを知って、嬉しかったな、、、そこからは活動したり、ソロの時期に入ったりを繰り返している。



ソロには触れない、と思っていたが、社会人になって、より濃密なファンになってきたときに、過去にリリースされた各メンバーのソロ曲も聴いたりした。


仕事の帰りに、TSUTAYAに寄ったらCDのワゴンセールが。そこになんと、我が”HYDE”さんと、guitarのkenちゃんの”Ken”名義のアルバムが、未開封で安売りにされてしまっているではないか、、、、、、

なんと、こんな私のレジェンドたちが安く売られるなんて!と、その2人のCDを購入して帰ったのだった。


すぐには、聴かなかった。

何年か経って、聴いてみたら。


”HYDE”楽曲は、音楽番組でも聴いていたし、vocalなのでなんとなく雰囲気は分かるのだが、"Ken"楽曲に関しては。

L'Arc-en-Cielのギタリスト、kenである彼の歌声は、コーラスでしか聴くことはなかった。ただ、彼はバンドの作曲番長。4人とも作曲はしているが、幅広い音楽性で魅せる彼の楽曲は、メンバー内でも一目置かれている。

(以下、”けんちゃん”と記述することをお許しください。)



アルバム、『IN PHYSICAL』

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聴いてみたら、



”え、こんな高音ボイスなの⁈”

”地声で、こんなに、hydeさんをしのぐボリュームで高音が出せるの⁈”



、、、、、、驚きだった。



けんちゃん、すごい!!!!

作曲センスももちろん知っているし、惚れてしまう。


私の知らない時期に、こんな作品が出ていたとは。

作詞作曲、編曲、歌唱、ギター、そしてピアノまで、彼がひとりでつとめていた。

その後は、ミニアルバムくらいしか出していない。

それほどにこの1枚に、全力を注いだのだろう。

L’Arc-en-Cielというバンドを愛する者としても、彼がより愛しくなるほどに、彼の魅力が詰まっていた。



いつしか、このアルバムがすきになって、鬱病になって以降も、思いだしては流していた。


同じ心の病である母の、不安からあげる父への罵声が鳴り響くのをかき消すために、部屋に逃げて、これを爆音で流したりした。




どん底のメンタルの中で、ある不調の日にふと、思わず歌詞に耳を傾けたのが、

1stシングルでもある『Speed』だった。


※公式ではないのですが、こちら。




なんだ、もしかして、これ、やさしい歌詞なのでは、、、、、、



私は、ROCKは特に、歌詞より音楽を先行で聴いているので、歌詞のよさは後から気づくことが多いのだが、まさにそれだった。


しかも、部分部分にいい言葉を使ったり、「いい歌詞でしょ」「これを伝えたいんだ」感を出したりすることが、全くない。

ストレートでなく、一曲を通して、さりげなく、ゆっくりと、やさしく伝えてくれているのだ。表現も独特で、やさしい毛布に包んで言葉を届けてくれるような、そんな感じ。


ストレートではないけれど、苦しんでいるひとへのさりげない

”大丈夫だよ”

を、けんちゃんはくれている。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

どうしようもない寂しさに 君は立ち止まるけれど

愛が交差する そのスピードに 流されるままに

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

もう 疲れたなんて 言わないで 時を 纏おうよ

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



これ、きっと、現状にあらがわないで、焦らないで、流れに任せていこう、、、、、、という、心穏やかにいることのすすめ。

必死なとき、苦しいときに、”焦らなくていい”、”ゆっくり行こうよ”と、あたたかく伝えてくれることがどんなに嬉しいことか。

丸8年鬱病治療をしてきて、私が深く感じていることだ。



そして、何気にある展開、ストーリー性。


”夢”という言葉が出てくるのだが、その主人公である”君”の”夢”に対するけんちゃんの見守り方が、変わってくるのだ。


。。。1サビ。。。。。。。。。。。。。。。。。

夢なら これからもずっと

迷い続けて なによりもっと

深く噛み締めた祈りを

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

。。。2サビ。。。。。。。。。。。。。。。。。

夢なら これからもずっと

夢見たままで 醒めないよずっと

深く噛み締めた祈りを

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

。。。ラスト。。。。。。。。。。。。。。。。

夢じゃない 其処へ

辿り着くよう なによりもっと

深く噛み締めた祈りを

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


もう、この美しい展開は、私なんかが語っていいのだろうか。


1番は、夢を追って立ち止まった”君”に、

”夢を叶えるために、どれだけ時間がかかっても迷ってもいいんだよ”

、、、、、、というところだろうか。


2番は、夢のためにきっと苦しんだであろう”君”に、

”夢のための努力はいったん休んでも、夢は逃げていかないよ、だから今は、忘れてゆっくりしよう”

、、、、、、ということだと思う。まさに、鬱病になって苦しんでいた、そのときの自分に向けているような気がしたのだ。


3番は、夢を追う”君”、傷ついた”君”に対し、

”夢みている場所にいつか辿り着いて、その場所が現実の君の居場所になる日まで、一緒に祈っているよ”

、、、、、、という、力も加わったメッセージになっていると思う。


けんちゃんはこの曲の中で、きっと夢を追う過程でボロボロになったであろう”君”を受け止め、やさしく包みながら、いつか”君”の夢が叶うことを祈る、信じてくれている存在になっているような気がする。


だから、夢を叶えたけれどそこでボロボロになり、再起不能なはずなのに生きていかなければならない、そんな私にものすごく刺さる曲になっていたのだ。




そして、ラストのサビが今も、私を勇気づけ、安心させてくれている。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

冬の悲しみよ

春の眩しさよ

夏を過ぎるころ きっと

安らぎをそっと 感じられるから

おそれずに視てて

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。



、、、、、、この歌詞に泣く。



春は、あたたかくなって、花が咲いて、、、、、、

そんなポジティブな季節に捉えられがちだけれど、

けんちゃんは春という季節のつらさを感じたことがあるのだろうか。新しいことが始まり、心が不安定になりやすい時期でもあることを知っているのだろうか。


”春の眩しさ”。


私の鬱病年表を振り返ることができる歌詞なのだけれど、

動けない、家から出られない、というどん底の時期から少し回復して、パートの面接に行って落ち続けたり、数か月保育パートをしたけれどまったく機能しなかった自分に気づいたあたりが、私の”春”にあたるところだったかな。

それとも。

身体が動くようになって、友人と連絡をたくさん取るようになって、でも現実は、周りが子育てに追われて生活が、自分とは全くかけ離れたところにあることを知ってしまったときのことだろうか。



”冬”が動けず、家から出られずの期間だったとすると、

”春”にあたるのは、動けるようになってからの現実。その眩しさのような刺激で、苦しんだ。

”夏”が、いつくるのかは、まだ分からない。


おそれずに視てて」のこの ”視る”。

同じ”みる”の中でも、視点を一点に集中させて、よくみることを指しているようだ。


注意してよくみる。凝視する。



おそれずに」。



”安らぎをそっと感じられるときがくる、だから、しっかり視て、進んでいって”。


そういう、”君”への思い。



今までとこれからの、自分と重ね合わせると、今でも涙が出そうになる。



けんちゃん、ありがとう。





秋は、どうしても鬱症状が増す。つらい。


お笑いのYouTubeばかり観ていたけれど、ふと、この曲が聴きたくなって。



流したら、やっぱり、やさしかった。





この曲についてnoteに書こうと思って、聴いていて、Twitterを開いたら。


ちょうど、けんちゃんがTwitterに降臨していた。


けんちゃんのTwitterアカウントの利用の仕方は、何かの宣伝とか、日常の呟きとかでなく、時間ができたときにふと、Twitterの世界に"現れる"。そして、ファンと交流する。お返事をもらえたらしあわせ、本当にラッキーだ。そして、いい時間になったら「おやすみー」と言い残し去っていく。


通知を設定していない私は、最近はよくけんちゃんが去った数分後にTwitterを開いたりしていて、惜しい!ということがあるが、過去には、何度かお返事をもらったこともある。




それが。



相当久々のこの、Speedを聴いている日に、

この、noteを書こうと思ったこの日に、

お返事が、きたのだ!

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前にも、この曲で救われたことを伝えたら、お返事がきた。一言。

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覚えてたかな?いや、ファンは多いのでそれはないか。


でも、本当に、やさしい気持ちに包まれた。



この秋は、夕方、本当につらい、、、、、、



また、力をもらおう。



音楽って、やっぱりいい。

すきなひと、すきなものがあることも、しあわせだ。



つらい時期も、こうして、乗り越えながら、おそれずに、ゆっくり、しっかり、進んでいこう。



すきなひと、ものに感謝しながら、この先も信じて進んでいけますように。

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