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2020/02/07 スープのある暮らし

仕事で帰りが遅くなったとき、温めればすぐに食べられる色々の汁物があると嬉しい。味噌汁、おすまし、洋風スープ。どれもそれぞれにおいしい。

子供の時分のこと。
日曜の朝には父が作る玉ねぎとウインナーのスープが食卓に上った。母は味が濃い言うこともあった、コンソメ味。
コーンスープが好きで、外で洋食を食べるときに出てくると嬉しかった。スーパーで売っている紙パックのものは、温めても冷たくてもおいしいので、作った人は天才だと思っていた。家ではクノールのカップスープをよく飲む。母は温めた牛乳に溶かして用意してくれた。寒い日の朝ごはんのお供。

高校生のとき。
平日にときどき自分一人家にいる機会があると、「赤いはうまい」を合言葉にトマトスープかキムチのスープを作っていた。おそらくわたしにしかおいしくないものだったと思う。この頃に「料理すなわち実験」の姿勢ができた。

一人暮らしを始めた頃。
ちょうどいい量を用意できずに作りすぎてしまう。材料を中途半端に残すのがためらわれて、全部切っていれたら鍋から溢れて吹きこぼしてしまう。母の味をまねて豚汁や粕汁を作る。坂崎千春『片想いさん』を読んで作るミネストローネ。一口コンロとカセットコンロを使って、小さな台所であれこれ作るようになった。

画廊主とよく訪ねたブションのオニオングラタンスープ。
ギャルソンが目の前で卵をかきまぜ仕上げをしてくれる。とろりと濃厚なスープをたっぷりと含んだ熱々のパンがおいしい。わたしが喜んで食べるのを、画廊主はとても喜んでくれた。

友人と丸太町で食べた洋食がおいしかった。
そのときに頼んだクラムチャウダーが絶品で、家でもおいしいものが食べたくてしばらくクラムチャウダーを作るのに凝っていた時期がある。彼女とまたあの店に行けたらいいなと思う。(なんという店だったかな。)

「おいしい」の一言を聞きたかった頃。
おにぎりと味噌汁のシンプルな朝ごはん。おいしいと言ってほしくてあれこれ試したけれど、結局は聞けずじまいになった。シンプルなものほど、細かいところに好みが出るものだと知る。

この冬は白菜のミルクスープをよく作る。
厚手の鍋にバターとにんにくでベーコンを炒める。そこに玉葱と白菜を加えて軽く炒める。最後にしめじ。牛乳はたっぷり、コンソメは適当、ローリエ一枚。鍋の縁からふつふつ沸いてきたら、塩と胡椒で味を調える。牛乳のスープなのに、ご飯とも喧嘩しないのがいい。
荒川弘『鋼の錬金術師』には、牛乳嫌いだけれどシチューは好きな主人公エドワードが「野菜スープに牛乳をつっこむっつー考えがすげーよ」と話す場面がある。本当にささやかだけれど、結構好きなエピソードだ。この冬はミルクスープを作りながら、久々にこのことを思い出した。

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たかだか食事の一椀のはずなのに、こうして改めて振り返ってみるとそれぞれに思い出すことがあるのだと知る。いや、むしろそういう日常の小さな断片ににこそ、心に残るものがあるのかもしれない。

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《2020/02/07 補記》
冒頭の写真、折角撮るのだし見栄えよくパセリでも振っておこうかしらんなどと色気を出したところ、色褪せた残念なパセリが出た。普段しないことはしないほうがいいですね。いやはや。

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