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カエターノ・ヴェローゾ(ミュージシャン・作家、1942年バイーア生まれ) ブラジル百人一語 岸和田仁 月刊ピンドラーマ2021年2月号

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#ブラジル版百人一語
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#岸和田仁 (きしわだひとし) 文

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 ブラジルに「西洋の西に位置する西洋」であることを求めていたなら、今日の僕は、僕らの現実を超西洋的に感じることを選びたい。裕福な世界と呼ばれた、ハンチントンの「西洋」に入らなかった国から来た植民者たちによって建設されたブラジルのありようは、文化的に混合しており、辺縁の、そのまた辺縁に位置している。初めてスイスに行った時、同地生まれの人が僕にこう言った。「ピレネー山脈の向こうは全部アフリカですよ」。よろしい、ジルベルト・フレイレの「熱帯の中国」からアゴスティーニョ・ダ・シルヴァのアフリカ東洋研究にいたるまで、ブラジルの住民のアメリカ大陸先住民的基礎からジョゼ・ボニファーシオのアマルガム(両アメリカ大陸のどの国の独立指導者も、奴隷解放の直後にくる彼の計画的な混血にわずかでも似たようなものを提案してはいない。人類学者であれば前代未聞の「文化の殺戮」と言うかもしれないが、少なくともこれはブラジルに特有な症状であり、僕らが取り扱う方法を知っているべきことだ)にいたるまで、黒人奴隷によってもたらされたアフリカの宗教を起源とする多神教からネオ・ペンテコスタリズムにいたるまで、すでに体験され、結局は捨てられたものとは異なる何かを、ブラジルは提起するのだ。

 1968年12月13日、軍事政権の独裁権力を象徴するAI-5(軍政令第五号)が布告された。この軍政令によって、強権を得た軍政は、大物政治家(元大統領、元州知事ほか)や言論人など200名以上を逮捕拘禁したが、その二週間後、朋友ジルベルト・ジルと共にカエターノ・ヴェローゾは、警察当局によって逮捕される。逮捕理由も定かでないままリオ軍警本部に2か月近く拘禁された後、二人共、英国ロンドンでの二年半の亡命生活を余儀なくされることになる。

 1960年代後半から彼らが展開した先進的カウンターカルチャー運動はトロピカリズモと称されるが、この拘禁・亡命という蹉跌期間を経て、カエターノはミュージシャンとしても哲人作家としても成長していく。

 あれから半世紀が経過し、今やMPB(ブラジルポピュラー音楽)のレジェンドとなったカエターノ・ヴェローゾ(1942年8月7日生まれ)も、2020年には78歳となった。

 加齢はあっても老化とは全く無縁でアクティブな人生を過ごしている高齢者は、洋の東西を問わず、日本でもブラジルでも少なからずいるが、カエターノはそんな現役高齢者の代表例だ。シンガー・ソングライターとしてばかりでなく、批評家・作家としても現役であり続けており、彼のファンでなくても、その知的パワーには圧倒されてしまうからだ。

 そんなカエターノは、「フランスかぶれ」の中産家庭環境で少年時代を過ごし、青年になると地元の最高学府バイーア連邦大学で西洋哲学全般(文学も含め)を学び、ニーチェからサルトル、メルロポンティ、レヴィ=ストロース、プルーストと濫読した由だが、彼が学生時代に活躍を始めるのは、まずは批評家としてであった。4歳年上の「同じバイアーノの兄貴」であった映画監督グラウベル・ホッシャの知遇を得て地元紙に書き続けた映画批評が評判を呼ぶようになったからだが、1965年になって「たまたま音楽活動を生業にすることになった」のだ。

 こうした青年カエターノの知的彷徨をノンフィクション文学的に叙述しているのが、この度(2020年9月)、日本語完訳版が刊行された『熱帯の真実』(“Verdade tropical”(初版1997年、改訂新版2017年) である。

 この『熱帯の真実』(国安真奈訳)は、ミュージシャンによる当事者証言ないし回想録といったレベルを遥かに超えた、ブラジル現代史の同時代証言でもあり、分厚くて(日本語版は二段組で544頁!)読み通すのがシンドイ哲学エッセイ集にもなっている。カエターノという類いまれなる知性が、国の近代化(マクロ)と自分自身の知的成長(ミクロ)とを、ある時は並行的に、ある時はそれぞれを交差させ複眼的に、考察しつくした成果を文章化した自伝的哲学試論である、というのが筆者の読後の感想であるが、この本のなかでも、読者に一番先に読んでほしいとカエターノが記しているのが、自身の逮捕拘禁について詳述した、第3章「ナルシスの休暇」である。

 冒頭に引用したのは、初版から20年後の2017年に刊行した新版に付された序文からだが、この序文といっても、一冊の新書版になるくらいの長い論稿だ。この序文を書いた時カエターノは75歳(日本的には後期高齢者!)だったから、まさに“加齢はあっても老化しない哲学徒”らしい、込み入った哲学的文章には圧倒されるしかない。


月刊ピンドラーマ2021年2月号
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