賢者に出会える場所


ほぼ日の学校、シェイクスピア講座受講生の川浪ひわです。facebookからログインしたので、カレンダーには本名が出ていますね。

こちらは、ほぼ日の学校受講生・修了生によるアドベントカレンダーに寄稿したものです。

記念すべき第一期目の講座。実はシェイクスピアの本は、読んでも右から左へ抜けていき、最後まで読むことができませんでした。そんなありさまなので、もしかしたらシェイクスピアの事を理解できるようになるかもしれない。そんな思いで学校に参加したのです。

実際は素晴らしい講師陣、まさに賢者から知恵を授けていただく日々。そして、同じ受講生もみなさん賢者なのです。
さらに、ただ耳を傾けるだけではない講座の構造。また、戯曲としてシェイクスピア作品を理解するためのアトラクションも盛りだくさんでした。

シェイクスピアの書物は、読めばそこに書かれている字面は理解できます。ただ、この場面、この言葉、この行動にはどのような意味があるのか、私にはそこまで深く考えることができませんでした。まさに字面を眺めているだけ。それが、雷に打たれたように戯曲の主題を理解できたように思います。結局、俳優さんがご自身の中に一度取り込んで演じ、表現してくれたものでないと理解できなかったのです。なので、できる限り「芝居」を見に行くようなりました。今までにはなかった習慣です。

シェイクスピア講座の場合は、私にとって重要な「芝居」に関係した内容がほぼ毎回ありました。
特に楽しかったのが、「セリフを読んでみよう」「ちょっと前にでてきてセリフ読んでくれる人います?」という展開です。引っ込み思案のくせに、こういうときはすぐ手を挙げる、目立ちたがりヒッキーなのです。
当初、セリフを読むということが中学校の英語の音読のようなものかと、期待も込めずセリフを読んでいたのですが、ただ読むだけではないのです。
ちゃんと他者のセリフはほかのチームが読む。つまり、チームごとでお芝居をするような形になるのです。
そこが、シェイクスピアの世界への入り口となりました。
そして、毎回さまざまな入り口が待っています。原文を研究されている研究者、翻訳者としての視点、劇評家としての視点。作家として、生物学者としての視点。どの回も飽きることなくシェイクスピアについて考えることができました。とても楽しかったです。

さて、タイトルの『賢者』について。
Twitterで小鳥の4コマ漫画に下記のようなものがありました。
まさにこの通り。長く長く生きて、たくさんの知恵を蓄えている人物です。そして、その言葉には聞くものを唖然とさせるような知識が詰まっているのです。

ほぼ日の学校は、この賢者に出会うことができる場所です。
講師として登壇される方はもちろん、すぐ隣で同じように話を聞いている人もそれぞれ賢者なのです。
そして、同じように知識を求めて集う人々の中にいると、一人で参加している孤独感が薄れていきます。
知識を求めて飛び込んだ場所で、素敵な出会い、つながりができたのです。

大いなる知恵に出会える場所、ほぼ日の学校はそんな場所だと思います。

※ちなみに今日は、私の誕生日だったりします。ハハハッ。
※オウムはとっても長生きです。実際に60年生きているタイハクオウムを見たことがあります。

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