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「大丈夫」と「不安」が行ったり来たり

 新しい職場。新しい人間関係。じきに、新しい子ども、保護者たち。
異動である。
一言で、「疲れた」。
良い人に恵まれたこと間違いなしの新チームなわけだが、それとはまったく別問題で、疲れた。
何なら帰るときに両隣の方に、笑顔で「疲れました!」と言ってしまうくらいに。

 初めての異動なので、自分がどんな感じで出せるのか、まったくもって未知数だった。
ただ、もじもじするような年齢でも年数でもないなというのは完全に思っていた。
さらに、キングコング西野さん発の金言「自分から『人見知りなんです』と言う人は優しくない」を共感しまくっていることからも、初日の挨拶はそれなりに明朗にいけたように思う。ヨカッタ。

 前年度終盤、以前一緒に働いていた人が職場に来ていた。
だから訊いた。「異動序盤の極意は?」
「はじめの一か月はおとなしくしとくことかな」
なるほどなーと思った。本当にそうだと思う。
肝に銘じたまま、初出勤。

 二段落前に書いたように、よほどのことでもない限り、それなりにすぐ、朗らかにおしゃべりできるだろうなとは思っていた。
だからこそ、心配していたのは、「問題なくおしゃべりできると踏んだときに、正しくセーブできるか」。
やはり来たばかりの新参者が雑談で好調をぶっこいているのはキツイものがあるだろう。
楽しいときほど控えめに。中庸である。
初日、出来ていただろうか。正直、アヤシイ場面もあったかもしれない。

 ずいぶん余裕を持った一日の予定だったので、初日はほとんどやること(できること)はなかった。(むろん、もともといた人たちはそれぞれお忙しそうだったが)
だから、自分なりにプラスαかなと思うことを考えてやったわけだが、後になってふつふつと、「ちょっとマズかったかもなぁ」と思うことがあった。

 前の職場では自分みたいな人たちが当然のようにやっていたことが、所変われば案外そうでもないことがあるようで。
うっかり自分がやることで、その人たちに、要らぬことを思わせてしまったかもしれない、と。
「おとなしくしとく」とは、行動も含めてなのだな、と気づけなかった。「郷に入っては郷に従え」の難しさを痛感した次第である。

 幸か不幸か、疲れに疲れた初日を終えてすぐに土日に突入。
週明けはまたある程度気力体力が復活した状態でスタート。
できそうだから、とあれこれするのはくれぐれも慎重にいこうと思う。持続可能か。同じことを、たとえば一か月後にもやれるのか。
スタートダッシュの勢いだからこそやれることは、やめておくことがベター。これもまた中庸である。

 あぁ難しい。自分というものが分からなくなる。
「大丈夫」と「不安」が行ったり来たりするのが春。
春は苦手だ。みんなもそうだというけれど。

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