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「ボディワーカーは、ワクチンを打つのか?」(後編)

前編では、「ワクチンを打つか打たないか判断する上で知っておくべき前提となること」をお伝えしました。肯定的であれ、否定的であれ、ワクチンの仕組みや専門家が安全だと話す根拠(セントラルドグマetc)を理解しておくべきだと思います。

竹を割ったようにスパッと、「ワクチンが出来た!万歳!早くワクチン接種して安心したい」と考える人は幸せです。悩んだり迷ったり、ストレスを感じることはありません(打たないという人へのストレスはあるかもしれませんが)。馬鹿にしているとかではなく、考える力がない(知識がない)方が幸せなことは少なくないのです。

反対につらいのは、肯定的な情報と否定的な情報の双方の情報を受け取って、迷ってしまうことです。さらに自由意思を失って、同調圧力に流されてしまうと私たちは苦しくなります。

自分の哲学を判断の拠り所にする

この記事に興味を持ってくださった方の多くは判断に迷っていたり、困っている、または、そうなりつつあるのではないでしょうか。

向上心があったり、知識欲があると、ワイドショーなどの情報を鵜呑みにすることはできなくなります。医師や教授という肩書きを、ある意見を信じるに足るかどうか判断する材料にしていた人も多かったはずです。ところが、今回は否定的な情報を発信している人にも医師や教授がいます。権威主義的な判断が通用しません。

Instagramでマスクについても書きましたが、今の世の中は矛盾に満ち満ちています。その上でどう生きていくのか。私たちは、自分自身の哲学を作る必要があります。自分の哲学に照らし合わせて、各人、行動すればよいのです。

もう既に哲学を持っている人は、自分の哲学を頼りにするべきです。信念という言葉に置き換えてもよいでしょう。難しく考える必要がありません。

野口整体の講座から感じたこと

整体協会の京都研修会館での講座を受講した時の話を書きます。

数ある整体の頂点、総本山とも言える場所です。民間療法で、公益社団法人と国から認められているおそらく唯一の組織(元首相、華族が役職を務められるような、本当に特別な存在です)。その代表の講話を聞く機会に、門外漢である僕は恵まれたのです。

その日は1時間以上、自分の死を規定するのが医師であることが許せないと、法律への怒りを話されておられました。一切の西洋医学を頼りにしていないのに、自分の死に関してだけは医師が判断することによって決定してしまう。そのことに強く憤りを持たされていて、当時の僕は圧倒されました。正直、今も、圧倒されています。

こういう世の中になって、「あの人はマスクをしているのだろうか」とすぐに思いました。すぐにそんな想像は下品だなと自分を恥ずかしく思いました。歴史上の人物のようなオーラを纏っていて、崇高な哲学があり、それはとても美しいものだったからです。

「あの人ならどう行動するだろうか」

さて、どうこの迷いから抜け出せばいいのでしょうか。

まず結論から述べます。

それは、尊敬する人や憧れる人(あるいは信頼している人)をイメージして「その人ならどう行動するだろうか」と考えることです。これが最も単純で、最も良い判断材料になります。

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