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ブログとGmailと中学2年生

ブログとGmail。
これが私にとってのはじめてのインターネットだった。

あるとき、仲の良い友人がかわいいメモ用紙にブログ名とPCメールのアドレスを添えて私に渡してくれた。お母さんにおうかがいをたてて、家のPCをおそるおそる開いたのを今でも覚えている。

中学2年生だった私にとってインターネットは、大人が使える「特別なもの」であったし、「なんとなく触ってはいけないもの」だった。インターネットを開く時間は、小学生のとき22時過ぎまで起きていたときに似ている。謎のうしろめたさとわくわくと、少しだけ背伸びしたような感覚。

友人のブログは、日々の出来事や家族のこと、自分で描いたイラスト(激うま)が載せられている他愛もないものだったけれど、記事が更新されるたび、コメント欄にニックネームで投稿するのが楽しみだった。同級生何人かもそのブログを見ていたので、コメント欄でのやりとりは、当時ほとんどすることがなかった「友人とのメール」みたいなもので、これもまた少し大人になったような気にさせてくれた。

友人に学校で見せてもらったイラストが次の日のブログの記事になったりすると、これも嬉しかった。記事のどこかに「自分」の存在が透けて見えることが誇らしく、そして照れくさかった。記事の更新を心待ちにしていたし、何をコメントしようか、どんな顔文字を使おうか、毎度頭を悩ませるのが楽しかった。



それからしばらく経って、母が「パソコンのメールアドレス作ってみる?」と言い出した。友達とメールなんてしたこと無かった私は、顔には出さなかったけれど相当興奮した。アカウントをつくるのにも、「自分だけのアドレス」「自分だけのパスワード」が嬉しくて仕方がない。いわば「自分の分身」をつくるような気持ちでアドレスとパスワードを決めた。

それからPCメールにハマったのかどうかは覚えていないのだけれど、アドレスを作る、パスワードを作る、という行為に相当こだわったのは今でも覚えている。インターネット上に「自分」という存在ができるということが、特別に感じられたんだろう。


「連絡先」欄に幾度となく入力してきたこのPCアドレス、決めたときのドキドキを、大学生になった今、久しぶりに思い出している。
この年齢になって、インターネットがなくては日々の生活が回らなくなった。そのぶん特別感なんてものはない。

それでも、新しくTwitterやFacebookのアカウントをつくるとき、アカウント名は何にしよう、パスワードは何にしよう、と未だに頭を悩ませる。
やはりアカウントは自分の「分身」だし、適当に決められない何かが私の中にはある。そういう特別感、きちんとしたいという思いは、この先消えることはないのだろうな、と思う。

ちなみに、なぜアドレスを作ったのが中学2年とはっきりわかるのかというと、当時の学籍番号の一部を使ったために、アドレスの中に学年を示す2がばっちり入っているからである。


中学を卒業して以来、一度も開くことのなかった友人のブログを久々に開いてみると、顔文字だらけの中学生の私がいた。誰もが通る道とはいえ、やはり恥ずかしい。

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