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寝られない - 最近何をしたか 5/29-6/8

寝られない

Twitterで流れてきた。昔のゲームの広告。ゲームが好きで、それは子供の頃から。古くは喫茶店、ゲームセンター、駄菓子屋、そして家庭、そういう流れでゲームに浸かってきた。ツイートで流れてきたのはゲームセンターがメインでもありファミコンに踏み出した頃のナムコの広告。"クーソーしてから、寝てください。"と、そういうコピーが印象的で鮮明に憶えている。

私は昔から、子供の頃から眠りにくかった。そして今ではさらに眠れない。大量にお酒を飲んでいた頃もあった。寝る薬は今でも処方されたものを飲んでいる。だたし内科での処方なので軽いもの、だからすぐに寝られるとか、よく眠れるというわけでもない。すぐに目が覚めたりすることも多い。だが、その時々にもよるが、それはそれでいい。そういう現在の中で、鮮明にその広告のことを憶えているのは広告が出る以前から寝られなくて空想をしていたということ。だから当時その広告を見た時なんとなく嬉しかった。ゲームセンターにあるゲームはどこを取っても優秀なナムコの広告で、しかも自分と同じようなことが書かれていたから。

私の空想はなんだっただろうか。幼児期には眠りにつくまで本を読んでもらったこともあったが、それ以降は一人で寝るので好きな物語の新しいエピソードを考えるとか、その世界の新しい主人公になるとか、それとは別に新しい物語、世界を作るとかそんな稚拙なものだった。物語を構築する、そういうのはよくあることだろう。だがそれとは他のことも思い浮かぶこともあった。それを明確に思い出せないのは残念だが世界の何かを感じたような、そんな気がしたこともあった。

寝るときにずっと音楽も聞いていた。YMOのアルバム、イエローマジックオーケストラが出た頃に繰り返し聞きながら寝ていた。そして同じ時期のそこには千のナイフや音楽殺人、ティンパンアレーのアルバムとかもあった。小学生だったが歌謡曲以外の音楽に船出し始めた頃だ。そういう記憶は今でも残っている。鮮明にという感じではないけど、当たり前のように私の中に存在する一部。そういうものになっている。

寝るということ。それはいいこと、楽しいことだ。体を休める。深い眠りもあれば浅い眠りの時には夢を見ることもある。それは楽しいこと不思議なこと、苦しいこともあるけどね。そして布団やベッドがいい。やすらげる場所だ。昼寝をして起きた時のぼんやりした感覚、ぼんやりしているのに耳が澄まされているような、そんな感覚も好きだ。今も不思議に感じるけど昼にベッドの中にいてぼんやりしていたら家の下の方の少し遠い小学校からトロイメライのチャイムが聞こえていた。その時のそういう感覚が、そういう情景が、そういう現実が好きだった。

今もだけど寝られなくても仕方ないけどね。だからこそ最初に戻り、"クーソーしてから、寝てください。"だ。最近はそういう時間はなかったけど寝られないのは同じこと。また空想して寝たい。空想だと世界は無限大だから。その中を泳ぎ、創り、感じられていつの間にか眠りにつけたらそれはとても幸せなことではないだろうか。どうせ眠りにつくまでの間なのだから。


触れて分かりたい

やっぱりあなたには触れたかった。それがガラスだとしても。触れると分かったはずだ、水玉なのか水滴なのかぬくもりなのか。今それを知りたいわけじゃない、その時見えただけてはなく、もっと体験したかった。そんなどこかのお話の一部。夜は長くて昼間よりも少し神秘的なもの。だから思う、この感覚。


りんごの色は

赤が落ちてくるから真っ赤になった。赤が沸いてくるから赤だらけ。垢じゃないよ。ちょっと違うとしても自分はそれなのかも。例えばりんごは青い、それもどこかでは普通のこと。日本では赤いという人も多いと思う。そういうものさ、赤でも青でもどちらでも、黄色でもいい。それはりんごだから。そして私は私なのだ。


こぼれてるはず

涙なんてこぼれないから、こぼしたい。本当はこぼれているはずなんだ。嬉しいし、苦しいし、悲しいから。つらいしね。でもこぼれ出ないから叫びたい。喉が破れてしまってもいいその叫び、伝えたいんだ。感動を、悩みを、このイーゴォを。本当はこぼれてるはずなんだ、この感動、悩み、イーゴォが。


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