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異文化の狭間で

先日、「アートとは、人そのものである」という言葉にとても共感した。一般的に音楽や絵画をアートと捉えがちであるが、それはあくまで作者の半生や世界観からアウトプットされた1つの形であり、完成されたアートであるかは否だと思っている。例えば美術館で絵画を見る。何もわからずに絵画の前に立つと、読み取れるものはごく僅かであり、人々は数秒で絵画の前から立ち去ってしまう。でも事前にその作者の半生や世界観をインプットした状態で絵画の前に立てば、感じるものはもっとあるはずだ。自分の作っている音楽もあくまでも断片をアウトプットしたものであり、世界観はこれまで過ごしてきた半生からあると思っている。

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自分は一面に雪景色が広がる小さな村で生まれ育った。インターネットが普及し始めたと同時に、人の集まる場所に大きな可能性があることを知り、都会に憧れを抱きながら学生時代を過ごして、社会へ出ると同時に上京した。脚を踏み入れたそこはまるで違う世界に見えた。視界に広がるビル群、気候や空気感、時間の流れ、人の肌感覚、その全てが別世界。とても興奮したと同時に、考えてもみなかったほどに寂しい気持ちになった。自分がどれだけ生まれ故郷を愛していたか、違う世界を体感した瞬間に気づかされた。故郷を懐かしむ気持ちはずっと残り続けているし、時折寂しさが襲うことも今でもあったりする。

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ただ一方で、里帰りをする度に思うことがある。久しぶりの空気感に溢れるほどの懐かしみを感じつつも、異世界に戻って可能性を求めたい気持ちがまた湧いてくる。もうどっちにいてもいられない、異文化の狭間で迷いながら過ごし続けている自分に葛藤する。どこにいればいいのか、何をしていればいいのか、よくわからなくなってくる。そんな日々を過ごしてきたし、今もこれからもずっとそうなんだと思う。

でも、それでいいんだとも思っている。それが自分だし、どちらの気持ちもわかるからこそ、片側が恋しくなった時に聴きたい曲をアウトプットできている。それに共感してくれる人たちもいる。これが自分の世界観であり、自分というアートだと思う。

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どんな人にもバックグラウンドがあり、そこから生まれてくる思考がある。それ自体がアートなんだと思う。それは全ての人に存在していて、音楽や絵画のようなわかりやすい形でアウトプットしている人もいれば、生き方で表現している人もいれば、人付き合いや日々の過ごし方に出ている人もいる。自分の周りではたくさんの人たちが音楽を作っている。そんな人たちはどんなアートな人生があって、音楽をアウトプットしているのか、とても興味がある。

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