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リスナー思考奏者の葛藤

最近、純粋に楽器を弾くことを楽しめていないかもしれないと思った。メンバーと一緒に練習をして、ライブをすることで達成感や満足感は感じているし、ライブを聴いていただいた方々からの感想もフィードバックもとても嬉しいし、それらがモチベーションに繋がっていることは間違いない。ただ、楽器を弾くというところだけを切り取ってみると、そこに楽しさや充実感はあまり感じていない。そう思った。

「弾く」を純粋に楽しんでいるメンバーがいる。スタジオ練習では「この曲のイントロはこんな表現をしたらいいかも」とか、「今のセッションのサビの入りのベースがみんなを引っ張る感じがとても良かった」とか、ライブでより良い表現をするために活発な意見をくれる。その1回1回の合わせをとても楽しんでくれている。職人のように基礎練に励んでいるメンバーもいる。演奏している瞬間が幸せだと言ってくれる。本当に良いメンバーが揃っている。でも自分は、悪い表現をしてしまえば、どこかやらされ仕事のような感覚に陥る時があり、楽しそうに演奏しているメンバーを羨ましいとさえ思ってしまっている。

とある日、某バンドのベーシストと飲んでいた。彼はとにかくベースを弾くことが好き。家に帰ればベースを触り、スタジオ練習はデート並みのワクワク感。ライブはお客さんが全くいなくても楽しいと言う。日々練習して、自分の演奏スキルがどんどん磨かれていくのが幸せ。逆に音楽を聴く習慣はあまりなく、イヤホンを家に忘れてしまっても何も苦ではないとも語る。それを聞いて、とても新鮮に感じたと同時に真逆だと思った。自分は音楽を聴くことが本当に好きで、毎日、朝だろうが夜だろうが、平日だろうが休日だろうが、音楽を常に聴いていたい。それは自分の気持ちを高ぶるためであったり、外の世界から自分を守るためであったり、感受性を豊かにして妄想するためであったり。音楽に生かされているという感覚さえある。しかし家で楽器を触るのは、ほとんど曲を作るときだけ。演奏への愛にすごく差を感じた。

でも彼と話して気づいたこともある。自分は作曲こそしているけれども、どこまでもリスナーなんだと思った。曲を作り始めたきっかけも、自分が思い出を懐かしむための最適な曲がなかったからであり、あくまでも自分というリスナーのためだった。作曲においても、どこまでもこだわり尽くしてきりがない作曲者もいる中で、自分は自分が良い曲だと感じられたらそれで迷いなく完成する。作った曲はリスナーとして誰よりも多く聴き込む。作った張本人であるにも関わらず、その曲のどこにどんなギターリフを入れたとか、どんなドラムパターンで作ったとかはもうどうでもよくて、純粋に自分の曲を面で聴いて楽しんでいる。自分が聴きたい曲を自分で作る、究極のリスナー思考だと思った。

一方で生演奏の素晴らしさは理解している。音源もこよなく愛するが、ライブも好きで高頻度で足を運ぶ。音源では感じきれない空気感やアレンジメントが存在することも体感している。だからこそ自分の曲もメンバーと一緒にライブで表現したいし、自分が最高だと思って作った曲を聴いてほしくて、何かを感じてもらいたい。ただそれには、最低限自分が納得いく形で演奏すべきだし、そのために努力すべきだし、可能な限り演奏自体を楽しむべきだと思う。今一度自分の「弾く」に対する姿勢を見直して、演奏する楽しさをメンバーに感じさせてもらいながら、過ごしていけたらと思っている。

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コメント1件

僕も以前は楽器を演奏するという点だけにフォーカスすると、同じ様な気持ちでした。
楽曲お披露目会の演者として仕方なくという気持ちが強く、仕事やタスクをこなすという感覚に近いものを感じていました。
只、今のバンドを始めてから、自分が演奏に関して追求した時間が単純に少ない事に気づいて、深堀し始めたら、意外と面白い事に気づけました。
とりあえず、まだまだ書き足りないので、飲みに行きませんか?笑
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