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死ななかった日(前編)

大きな骨折をして不安な方へ、私の情報が参考になったらと思い、入院中に骨折日記をスタート。一般の方にも珍体験記として楽しんで頂けたらと思います。

羽田空港からの事故

【2019年12月3日月曜日】
朝5時頃、台湾旅行から帰宅中、自宅付近にてバイクで単独事故。疲労から意識が落ち、ガードパイプに突っ込む。

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事故による怪我
・左脛骨(けいこつ)、腓骨(ひこつ)を開放骨折
・左大腿骨(股関節)を単純骨折
・脊髄を軽度損傷(指先に非常に強い痺れあり)


とにかく自損事故で済んで本当によかった

人様や車にぶつからなくて、自分だけの怪我で済んだ事は、本当に不幸中の幸いで誰かを怪我させていたら、自分の治療どころではない…。疲れ切って運転をした自分を悔やんでも悔やみきれない。

目が覚めたら、私はうつ伏せで道路に横たわっていた。起き上がろうと試すが、手が激痛。そして、左足が信じられないくらい痛い。「誰か助けて」の声もでない。

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おじさんに発見され、眠る

体感時間10分ほどで、白っぽい服を着たおじさんが来た。おそらく車を止めて降りて来てくれた気がする。

「大丈夫か!生きてるか!救急車呼んだからな。」と言ってくれた。命の恩人である。(のちに連絡先を警察に聞いてみるが教えてもらえなかった)

救急車はなかなか来ず、全身激痛なのに私はここで眠ってしまう。場所が場所なら、発見されずにこのまま死んでるのだろう。

騒がしい声に目を覚ますと、救急車とパトカーが到着していた。警察官に、名前や住所、携帯はどこにあるのか。財布は免許証は?を大声で質問されまくる。

残ったエネルギーでなんとか答える。私は名前がとても珍しいのだけど、一生の中でも一番説明が面倒くさい瞬間だった。


事故直後が一番の地獄

おそらく関節と逆の方向に曲がっている足をストレッチャーに収めるため真っ直ぐにされる時、
大声で「いたーーーーーい!!!」と叫んだのを覚えている。

この瞬間、こんなに痛いなら、さっき死んだほうがマシだった。と思うくらい痛かった。よく戦争映画とかで、負傷者に衛生兵がモルヒネを打ってるが、こんな状態の私には打ってくれないの?と、猛烈に思った。


救急車はすぐに発車しない

搬送先の緊急病院が見つからないのだ。
救急隊員の方がいろんな病院へ連絡してくれているのが普通に聞こえる。もし、救急のある病院にベッド数が足りない場合、私は死ぬのかな…と思った。

救急車はやっと発車したが、到着するまでとても長い道のりに感じた。実際、事故現場からはけっこう遠い病院に搬送されている。

私への質問はまだまだ続く。後から考えたら意識があるかどうかの確認なのかもしれないが、「ご家族に電話してください。」とスマホを渡された時はびっくりした。
「手が痛いです、無理です。」と伝えて、実家の電話番号を伝えて代わりにかけてもらった。
「親はこんな早朝に電話がきて、さぞかしびっくりしているだろうな、申し訳ないな…。」と辛かった。


車の少しの揺れでも足は激痛がした。それに増して、手は風を感じだけでも、ものすごく痛かった。


救急車の中で
「この身体でどうやって生活していくんだ?」
「愛猫が家で私を待ってるのにどうしよう?」
「この手は一生使えない手になるのか?」
「治療費は何百万円とするのだろうか?」

全身激痛の中、頭の中は絶望的な考えがぐるぐる回っていた。


死ななかった日(後編)へ続く…



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