【おはなし】 エキストラ
「警察を呼んでください!」
お客さんと言い争いをしている店員が興奮状態でさけんだ。
まわりで見ていた野次馬のひとりが「四角い窓」を操作しながら警察に電話を入れた。
その一部始終を見ていたボクは、「3手早いな」とため息をついた。
平日の午後。
ショッピングセンターで事件は起きた。
本屋さんで立ち読みをしながらオシャレなカフェを探しているボクの耳に雑音が混じってきた。
「すみまへん。ボールペン貸してもらえまへんか?」
声の大きなおじさんが近くを通りかかった店員のお姉さんに話しかけた。
「少々お待ちください」
なにかの作業中だった店員さんは、おじさんにひと声かけてその場を離れていった。
取り残されたおじさんは、店員さんを追いかけて声をかけた。
「ボールペン、貸してくれまへんか?」
「えっと、いま、手が離せないので少しお待ちください」
「ボールペン貸して」
「いや、今はちょっと・・・」
おじさんの追跡を振り払いレジカウンターのに入って行った店員さんは、手に持っていた本をお客さんに手渡すと、おじさんの元に帰ってきた。
「お待たせしました。ボールペンですね?」
「そや。おまえ、待たせすぎやど」
「・・・、申し訳ございません」
「はよ貸せや」
「・・・、何にお使いになるのですか?」
「なんでもええやろ。はよ貸せ!」
店員のお姉さんは、エプロンの胸ポケットに挟み込んでいるボールペンを取り出すと、おじさんに手渡しながら、負の感情をたっぷり込めて着火ボタンを押した。
「ちゃんと返してくださいね!」
「分かっとるわ。おまえ、ゴチャゴチャうるさいんじゃ!」
おじさんの顔に埋め込まれている火山が爆発した。
店員さんの手からボールペンを引ったくったおじさんは、捨て台詞を吐いてから絵本コーナーへ歩いていくと、横長のベンチに置いてある白い紙の前に座ってボールペンを使ってなにかを書きはじめた。
怒鳴られた店員さんはビックリした姿勢のまま固まっていた。自分の感情をどのように処理するべきか迷っているみたいにボクには見えた。時間にすると1分も経ってないはず。我に返った店員さんはおじさんを追いかけると、トドメの一撃を発射した。
「終わったら、ちゃ〜んと、返してくださいねっ!」
「あー? なんじゃおまえ、返す言うとるやろ。どつきまわずぞ!!」
おじさんは立ち上がると、店員のお姉さんに近寄り、彼女を見下ろしながらマグマを飛び散らしていく。
「終わったら返す言うてるやろ。ゴチャゴチャうるさいんじゃおまえ。あっち行っとけ!」
「ここは子供さんたちが絵本を読むコーナーです。何をしてるのか知りませんけど、ご遠慮いただけませんか?」
「あー? どこにも子供なんていてへんやんけ。おまえバカか?」
「今はいてませんけど、いつ子供さんたちがやってくるか分かりませんから、よそでやってもらえませんか?」
「誰もいてへんから別にええやろ!」
「いいえ、ルールですから」
「子供が来たら席譲ったるわ。わし、急いでるねん。終わったら帰るからおまえはあっち行っとけ。ジャマじゃボケ!」
騒ぎを聞きつけたマネージャーらしき男性店員が駆け足でやってきて、ふたりの間に体をねじ込んだ。
「お客さま、どうされましたか?」
「あー? こいつにボールペン貸して言うただけや」
「さようでございますか。なにかお急ぎの御用でしたか」
「せや、わし急いどるねん。ジャマせんといてんか」
「かしこまりました。それでは、失礼いたします」
マネージャーは興奮しているお姉さんの肩をポンポンとたたくと、ふたりでその場を立ち去ろうと歩きはじめた。
納得のいかないお姉さんは、それでもマネージャーに従いながらその場から離れていった。
「ほほう。男性のマネージャーはうまく取り繕ったな。これで静かになるのかな」と思ったボクを店員のお姉さんがあっさりと裏切ってくれた。
お姉さんは、絵本コーナーが見える場所まで引き下がると、ふたたび視線をおじさんにロックオンして、その場に立ち尽くしてしまった。
視線を感じたおじさんは、お姉さんに文句を言った。
文句を言われたお姉さんは「警察を呼んでください!」とさけんだ。
その後、警察がやってきて、おじさんは連れ去られて行った。
警察官のお兄さんはおじさんよりも若く見える。優しいトーンの言葉遣いでおじさんに話しかけると、おじさんの言い分を聞き、「じゃあ、あとはじっくりと外で聞くから、いったんここから出ましょうか」とおじさんが荷物をまとめるのを見守りながら、おじさんに手を触れることもなく優しく外に連れ出していった。
別の警察官がやってきて、店員さんから事情聴取をはじめた。
さっきまで眼にチカラを込めてカッカしていた店員のお姉さんは、しなびた野菜みたいに今ではおしとやかになっている。
どういうキッカケで、どういう状態になったのかを警察官に説明している。マネージャーも同席しながら3人で会話をしている。
警察官は状況を整理しながら手に持っている用紙にボールペンを使って記入していく。ボクは彼らが見える位置まで離れて聞き耳を立てていた。
警察官が聞きたいこと。
「暴力を振るわれたのか。物を壊されたのか」
今回は、そのどちらでもなかった。
店員のお姉さんが言いたいこと。
「私は悪くない。あのおじさんが悪い」
お姉さんは自分の正当性を証明するために、カヨワイ女性を演じているようにボクには見えた。
優しく連れ出されて行ったおじさんの言いたいことも同じだろう。
「わしは悪くない。あの女が悪い」
お互いが少しずつ歩み寄ることで気持ちよく過ごせたはずなのにな。
ふしぎなことに、警察官の制服を着た「何者か」がやってくると、本屋さんでの争いは一瞬で収まってしまった。
ボクが持ち歩いているボールペンを貸してあげていたら、違うイベントが発生していたのかな。
本屋の店員さんは、みんなでお揃いの青いエプロンと白いマスクをつけていた。まるで個体の識別が難しくなるように衣装を統一しているみたいだ。
店員のお姉さんが興奮状態になると、彼女の右目と左目の間に、もうひとつの眼が現れたようにボクには見えていた。その眼は複数の眼とリンクして、ひとつの生命体として活動しているのだ。
たぶん、誰も信じてくれないと思うけどさ。
通常営業を取り戻した本屋さんを出るとき、ボクの耳に雑音が混じってきた。
「○ーッ○」
監督の合図だったら、よかったのにな・・・
おしまい