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エッセイ | 満点を目指す時、目指さない時。

 昔の話である。
 小学生の頃、テストで満点をとると嬉しかったものである。
 中学生になっても、英語や社会の中間・期末テストでは、それなりに満点をとっていた。
 高校生になると、満点をとった記憶がない。
 満点をとると気持ちがよい。しかし、入試では満点をとる必要はない。合格するかどうかは、複数の科目の合計点で決まることが多いからだ。
 ひとつの科目で満点をとるよりは、合計点を伸ばすような学習をしたほうがよい。
 すべての科目で満点をとることはすごいことだけれども、それよりも合格するか不合格かどうかのほうが大切なことだ。
 考えようによっては、満点をとる人よりも、合格点スレスレで合格する人のほうが素晴らしいかもしれない。必要最小限の努力で合格したのだから。

 仕事にしろ、恋愛にしろ、「満点💯」を目指す人と、「合格点」を目指す人がいるだろう。もちろん突出した才能は素晴らしいし、称賛に値するけれども、ほとんど人の普段の生活では、「合格点」をコンスタントに獲得する人のほうが大成しやすいような気がしている。
 当たれば「ホームラン」という人より、コツコツとヒットを重ねる人のほうが信頼を得やすいだろう。

 ただ、恋愛になると少し話が違うかなぁ、とも思う。
 いつもヒットだけで一発もホームランがないと、なかなかお付き合いするきっかけが生まれにくいかな?
 一度でも一緒にいて「わぁ~」という瞬間がないと、この人について行こうとは思えないかもしれない。

 noteではどうだろう?どういう人をフォローしたいだろうか?
 「いつも統一感があって、品質が均整がとれている記事を書く人」(ヒット型)と「当たればすごい記事をたまに書く人」(ホームラン型)と。
 もちろん「ヒット型」でも「ホームラン型」でもどちらでもよい。しかしながら、いつもパッしない記事を書く「空振り三振型」も面白かったりする。
 noteは奥が深いですよね😄。何でもありとも言えそうだ。

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