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当たり前のことは気が付きにくい

 去年、2021年11月4日にこんなことを書いている。


なんで今まで気が付かなかったのだろう?
noteって人それぞれ異なるということを。
noteに向き合う時間も違う。
朝だけ見る人もいれば
昼だけ、夜だけの人もいる。

なにをテーマにしてもいいが
書きたいことはみな違う。
なにを読んでもいいが
読みたいものはみな違う。

スマホだけで見る人もいれば
PCだけで見る人もいる。

フォローしている人は異なるし
フォローされている人も違う。

だから、人それぞれ、ひとりひとり見えている画面は異なる。
自分が見ているこの画面と
まったく同じものを見ている人は
ひとりもいない。

自分の書いた記事でさえ
他の人の画面にどううつっているのか
それさえもわからない。

わたしがなにをどう見ているかも
他の人にはわからない。
まして、いま、お互いの頭の中は
どうなっているのか
知るよしもない。

自分がこれからなにを書くのか?
他の人がこれからなにを書くのか?
自分がこれからなにを読むのか?
他の人がこれからなにを読むのか?

お互いの環世界を理解すること。
難しいけれども
完全な理解は
無理かもしれないけれども
「わからない」、ということが
noteをつづける意味かもしれない。


 いま思っていることを書いてみようと思ったら、そういえば、去年同じことを書いていたなぁ、と思い出した。
 どこに書いたか探していて、やっと見つけた。
 当たり前のことは当たり前であるがゆえに、なかなか気がつきにくいものだ。
 一口にnoteと言っても、お互いにみんな違うnoteと向き合っている。
 自分の当たり前が、他人の当たり前ではないこともある。ときどき思い出してもいいかな、と思う。

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