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インプットでもアウトプットでもなく「世界をどう見るか」を磨け

学生時代に貧乏旅行でヨーロッパを回っていたとき、お金がないけど時間は有り余っていたので、よく美術館に行っていた。最初は、とりわけ絵が好きなわけではなかった。

そんなある日。ウィーン滞在中のことだ。ユースホステルで仲良くなったオランダ人のおじいちゃん、ステファンと一緒に近代美術館に行くことになった。ウィーンには聖ステファン大聖堂という寺院があり、使徒行伝の聖ステファノは私の好きな聖人だった。なんだか奇跡を感じる縁だ。そう言うとステファンは上気した。

鑑賞を始めてすぐ気付いたのだが、ステファンは全部の絵を横から見ている。何やってるの?と聞いたら、マチエールを見ているのだ、と。マチエール?フランス語?

絵の具の凸凹で表現される絵の質感だよ。例えば岩だったら、絵の具をゴテゴテ塗って実際に岩っぽく見せる。教科書で見る絵は平面でしょう、でも実は絵は立体なんだよ。美術館では、それを見るのが好きなんだ。

それ以来、私は美術館が大好きになった。旅行中も、その後はむしろ美術館を目的に訪れる街を選ぶようになった。絵画鑑賞が新しい趣味になった。ステファンから学んだ絵を見る視点、「何をどう見るか」が、その後の旅を変え、なんなら人生もちょっと変えた。

インプットが大事だ、いやアウトプットだ、その両方だ、という議論をネット上でよく見かける。でもそれより大事なのは「世界をどう見るか」なんじゃないかと思う。どういう視点で何を見るか。

私が選ぶ人類史上最大のイノベーションベスト3は、コペルニクスの地動説、ニュートンの万有引力発見、ダーウィンの進化論だ。どれも「世界をどう見るか」を革新した。

セザンヌやピカソが絵画に起こしたイノベーションも、技術的なものではなく、対象をどう見るかの革新だ。セザンヌにはテーブルに置かれた果物が直線と曲線に見え、ピカソには女性がキューブの組み合わせに見えた。

普通の視点で見ている以上、いくらインプットしても、例えばいくら本を読んでも、普通のアウトプットしかでてこない。でも逆に「どういう視点で何を見るか」「世界をどう見るか」を変えれば、コンビニでサラリーマンが買い物しているのを見るだけでも学びがある。

ではその視点をどうやしなうのか、だけど、これはそういう視点を持っている凄い人を観察し、それを盗むしかない。凄い人を見つけたら、その人に近づく。そして、例えばおススメの本を聞くだけではなく、その人がそれをどう読んだのか?を聞き出すのだ。その人がどこをどう見たのか。

それは日常生活のなかでも盗むことができる。例えばネットの炎上騒ぎをどう見てるのか、とか、みんなが見ているテレビ番組をどう見てるか、とか。そういう人は、例えばみんながある演者の悪口を言っている間に、なぜプロデューサーはその人をキャスティングしたのか、を分析しているかもしれない。そんな視点の違いを観察し、盗む。

ウィーンであったオランダ人のおじいちゃん、ステファンには後日談がある。彼はユースホステルの部屋で僕がリュックにしまっていたグレン・グールドのCDを見て、「ダイスケこれは僕の心のパスポートだよ!」といった。二人の結びつきは、それで決定的に特別なものとなった。

ステファンはパソコンをもっていなかったので、文通しようよ、と住所を交換して、帰国後実際に手紙をもらった。グレン・グールドが好きな文通友達ができるなんて最高だ、と書いてあった。でもなんだか返事を書けないまま時がすぎ、結局手紙のやりとりはできないままになってしまった。

ここ数年は仕事で頻繁にヨーロッパにいくようになったが、行くたびにいつもステファンのことを思い出す。随分おじいちゃんだったから、いまはもう天国で僕らを最初に結びつけた聖ステファノに弟子入りしているかもしれない。でもある意味、ぼくは常に彼の視点と共に生きている。だれかの視点を盗むことは、その人が亡くなったあとも、その人を生かすことでもある。

おわり

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