なんでみんなもっと本気にならないんだ!と思う時は自分も本気じゃない

痒み、という感覚は実は存在せず、あれは緩やかな痛みなんだそうだ。痛覚への弱い刺激。これと似たような感じで、誰かの行為や態度にイライラする、という感情、あれは緩やかな怒りなんじゃないかと思う。

なんで「緩やか」なのかというと、その行為や態度自体がそんなに大した悪徳じゃない場合、あるいは悪い意味で慣れてしまっているケースがまずある。ポイ捨てとか。良からぬことながら、よくありすぎることなので、まあいちいち怒っていても仕方ないね、と。

怒りが緩みイライラになるもう一つのケースは、それが実は自己嫌悪の裏返しである場合だ。本当は「自分の」そういうところが嫌いなのに、それを同じことをしている誰か他の人への怒りに転換してしまう。でも、自分の肌を強く噛めないように、自分自信に激しく怒ることはできないので、手加減してしまい緩くなる。そしてイライラする。

なんで私はこんなに本気なのに、みんな本気になってくれないんだ!とイライラするとき、そんな理屈で、大体自分も本気じゃないんだと僕は思う。本気にならない「みんな」に、同じく本気になれない自分を透かして見るのでイライラしてしまう。

実際、本当に自分が死に物狂いになっていたら、周りが本気だろうがうそんきだろうが、そんなことは全く気にならない。沈みゆく船から脱出するのに、一緒に脱出するみんなが本気じゃない、なんてトイレかなんかで愚痴を言ってる暇があったら、みんなを引きずり小突き回して少しでも前にも進むだろう。

そうこうしているうちに、みんな本気になっていくのだ。本気が伝染していく。もちろん全員がそうなってくれるわけではないけど、何人かの心に火をつけることはできる。そうやって熱を広げていくしかない。

なんでみんなは本気になってくれないんだ?と思ったら。まずは自分自身が本気になっていないと疑い、それはどうしてかを分析する。失敗して傷つかないための予防線を張ってるのかもしれないし、何かに一部納得していないのかもしれない。それを取り除いて、自分が本当に本気であることを自覚できたら、そこで問題解決だ。あとは出来ることを洗い出し、そのなかからやるべきことを選んで、それに猛進するのみなのだから。

おわり

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