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教師にならない理由

ある日、「僕は他人を変えることはできない」 と悟った。
悟った原因はよく分からない(何かあるのかもしれないけど)。
だから教師にはならない。

もっと言うと、「僕みたいな人間が他人を変えようなんて、おこがましい」と思うようになった。
高校生の時、合唱コンクールの審査結果に納得がいかず、職員室で教頭先生に抗議の演説をかましていた(非常に痛い思い出である…)僕にとって、これはすごい進歩だ。

僕は昔から、自分の意見で人を納得させたり、論破したりするのが好きだった。
教師になりたかった理由も、人に「正論」を振りかざしたかったからに違いない。
僕は物理を理解してもらいたかったのではなく、
自分が物理を理解していることを、理解してもらいたかったのだ。

それから、昔から僕は周りのせいにするのが得意だった。サッカーが上手くならないのは監督のせいだし、社会が苦手なのも先生の教え方が悪いからだと思っていた。
その延長で、世の中の悪いことは誰のせいなのか未熟な頭で考えた結果、教師のせいだと結論付けたのだ。
だから教師が変われば世界が変わると思っていた。
自分が生徒の人生を「変えてあげよう」などと思っていた。

だが、それは間違いだったと思う。世界はそんなに単純じゃないし、

他人の人生は、そう簡単には変わらない

のだから。
少なくとも、僕のような人間が「生徒の人生を変える」だなんて、おこがましい。
「他人を変える」ことは難しい上に、とてつもない体力と精神力が必要だ。
僕にはできない。
(そのように諦めがついたのは、教師になるために全力で勉強し、教育実習を最高の形で終わることができたからだという自負はあります)

以上が、「僕が教師にならない理由」だ。クソみてえな文章だな。



、、、しかし、同時に僕は

ある領域に達した教師は、生徒の人生を変えることがある

ことも知っている。
僕の人生は三人の教師のおかげで変わった。


その三人の教師については、この記事にスキ!がついたら書こうと思います。クソみたいな文章に付き合っていただきありがとうございました。


-p.s. 教師を目指す方、教師の方へ-
僕のクソみたいな文章のせいで、嫌な思いをさせたかもしれません。もしそうなら本当にごめんなさい。
単純に、僕は教師に向いていなかったのです。性格的に。
教師を志す人全員を僕は尊敬しています。
"ダメな先生"の烙印を押されている先生ですら、僕は尊敬しています。

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