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頑張る事をやめてから。

僕は昔から、努力だとか頑張る だとか。

部活をしていた時の自分にとってエナジーだった。いつ報われるか分からないけれそその瞬間は”いつか“にあって走り続けたものだけがその甘い蜜を吸えるのだと。

頑張る って言葉を反芻して、言葉の解釈を何回も重ねて。

自分で自分の背中を押し続けて。

頑張る。

頑固に踏ん張る。我を張る。


我を張る。その張り詰めた状態で保つ事など不可能。あとどれだけ身を削ればいいんだろうなどと考えてしまうのも無理はない。ある時、頑張ることに飽き飽きして”我を張る“をやめた。

肩の力を抜いて安息の中で見えるようになった。

すると癒しの中で事を為せる自我に気づいた。

肉体のスーツで行きている以上、もちろん疲れは出る。でもあの時みたいな緊張疲れは無い。なぜなら楽しみながら、喜びながら為せるから。それは我を張りに行く という心意気ではなく空気を吸うような当たり前の”動作“。

自我を諦めて、自らを明らかにしてからの自重の軽さときたら笑いがこみ上げほどなんとまあ軽いことか。

頑張らなければいけない

っていう宗教から1人でも解放されますように。


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