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ドキドキ

全然そんなつもりはないのに、
こっちからのメッセージを攻撃のように受け取ったかのように
勝手にキレられている、
という知覚があって動揺した。

なんでこんなんでキレてんねん、
という文句が上がって、
気づいた。



「いつもおだやかなお前であれよ」
とコントロールしたいというのがあって、

ということは、そういうふうにコントロールすることで
触れないでいられる、と思ってる嫌なものが自分の中にある。

それに触れそうになって、
ドキドキして、

それに触れるのが嫌なので、
「キレんなよ」と文句をぶつけていた。


あーあ、やっぱ内側のこういうのに触れていかんといけんのんか。

ドキドキするわー。



こういうのに触れる真っ只中で、
わしは神聖なる神の子じゃ
って言っていかんといけんの。

カープとか女の子に投影できとるあいだは
まだまだ余裕があるんじゃの。



この前の勉強会であすかちゃんのときにのりこさんが言っていた、
「わたしの解釈は0から100まで完全にすべて間違っている」ってやつ。

あれが勉強会の録画聞いとる最中、聞いたあとに、
初めてレベルで、
ほんまに「そのほうがわしは幸せじゃ」と感じられた。

「0から100あるうちの、これとこれとこれは間違っとるかもしれんけど、
これとこれについてだけは俺が正しい」みたいなんとはまったく違う。

わしのあらゆる解釈は0から100まで完全に間違っとるって
聖霊に向かって言って受け入れることが、とてつもなく楽で幸せなことのように感じられた。


内側の激しい何かにふれることになっても、
わしは神聖なる神の子じゃっていうところに踏ん張りながら、
わしの解釈は0から100まで完全に間違っとるんじゃって言っていきたい。


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