『インドの作り方』 #カレーZINE Vol.3 ラフスケッチ(購読者限定記事)

本稿は、2022年夏に刊行予定の『カレーZINE Vol.3』のラフスケッチです。Vol.3のテーマは「カレーと遊び」です。

本校は本番の原稿を書くための下書き、殴り書きです。乱筆や校正前のものを多く含み、今後大きく構成を変更する可能性もあるため、マガジン購読者限定で公開します。

プロローグ

突然だが、2年前からインドにいけなくなってしまった。なので代わりに東京でインドを作っている。と言っても何を言っているのかわからないと思うので説明を試みる。

あえて抽象的に言うと、自分のやっていることは「インド料理やカレーを中心に据えつつ、日常生活から無縁で、ばかばかしく無意味で、無益・無用で役に立たず、無秩序で無軌道な遊びを作り出し、真剣に実行していくということ」である。

例えば、インドを仮想的に旅するために毎月のテーマを掲げてインド亜大陸内を移動し続けている。妄想的にその土地土地の暮らしを体験するために調査をし、ヒアリングを重ね、材料を調達して料理を作る。土地によって使うスパイスや食材が違うので毎月家に漂う香りが変わる。

あるときはケーララを旅した。気候的に違和感がないように、ココナッツオイルが溶ける24度以上が常温となる季節にタイミングを設定した。
生のココナッツを割って削り、大きなバナナリーフを敷いて30種類近くの料理を並べ、サッディヤというお祭り料理を作った。 

ナガランドという、歴史的にも料理的にもまったくインドではない土地に思いを馳せたこともあった。調査の過程でその民族独立闘争の歴史的背景まで深入りする必要があり、40年前ナガに密入国した日本人から直接話を伺い、ナガランド料理を再現した。

年末年始には、出来上がったらすぐに破壊されてしまうチベットの砂曼荼羅をモチーフに、2日かけて50種類以上のカレーを作り、バナナリーフを並べてカレーで大きな曼荼羅を作った。

行ったことのない土地の料理を作るため、英語や現地語でレシピのリサーチをし、一定の理論に基づいて試作を重ねる。月末には研究成果としてターリーを作る。

既に一年以上そんなことを続けている。仮想的に旅をしているだけなのに、インドの地図を見ると「あっ!あのとき調べた街だ」と懐かしい気持ちになったりする。

もはやカレー活動をしている合間に仕事をしたり生活をしたりする毎日である。生計を立てるための仕事として平日は会社勤めをしているのであるが、このようなカレーやインドにまつわる活動を趣味と言われると否定したくなる。

だとすればカレーは自分にとってなんなのか。その問いに対しては「遊び」であると答えたい。

ともすると型にハマりがちな日常生活のルーチーンの中で、普段やらない小さな遊びをやってみる。それだけで異様にワクワクすることができるし、いつも眺めて見慣れているはずの景色が急に違って見えて、新鮮な気持ちを取り戻すことができる。それがカレーという「遊び」の効能だと思う。

成熟とは子供の頃に真剣に遊んだあの気持ちになることである 

ニーチェ『善悪の彼岸』

全力を出して子供のように真剣に遊び続けられる大人は、ある意味で成熟しているのかもしれない。

本稿は、カレーをめぐる仕事と趣味の議論にシリアスレジャーの概念を導入しつつ考え、過去論じられてきた「遊び」の概念に照らし合わせてみることでカレーが持つ「遊び」の力の解像度を上げ、確信を持って今後のカレーでの遊び方をブラッシュアップさせることを企む。

そう、これ自体が既にひとつの遊びである。


「そんなにカレーが好きだったらいつかカレー屋になるんでしょ?」という問い

かれこれ8年ほど熱心にカレーをやっている。

「そんなにカレーが好きだったらいつかカレー屋になるんでしょ」というのはカレーをやっているとよく聞かれる無邪気な質問のひとつだ。ちなみに「カレーをやる」というのはカレーを作る、食べることに限らず、カレーに関わるあらゆる活動を熱心に行うことを指す。「音楽をやる」とか「原稿をやる」などという表現のアナロジーである。

この質問はある種のイデオロギーに基づいて行われているように思う。すなわち、「ひとは何者かにならなければならない」という思想や「好きを仕事にすることこそが素晴らしい」というような脅迫観念だ。

このような考え方は仕事と趣味が明確に分けられるものだという前提で曖昧な領域(すなわち、遊び)をなくしてしまうところに問題を含んでいるのではないだろうか。

真剣に何かに打ち込んでいるひとがいる場合、その人は何かになること、もしくはそれを職業とすることを目指しているのだという素朴な考え方をされる場合がある。すなわち、何かに取り組んでいる時間は未来のための犠牲であって、夢を達成するための手段にすぎないというような考えだ。

気持ちはわからなくもないが、そのように何かの活動をすぐに「趣味か仕事か」の単純な二元論で語ろうとするような態度に警鐘を鳴らしたい。無目的で役に立たないことに一生懸命でもいいじゃないか。

「シリアスレジャー」という概念がある。もともとはカナダの余暇研究者ロバート・ステビンスが提唱した概念だが、余暇の時間を労働のための回復や単なる気晴らし(レクリエーション)のために使うのではなく、ある意味では仕事よりも真剣に、専門知識を持って継続的に取り組み続けるような活動を指す。それで生計を立てているわけではないが、単なる遊びではすまないほどの時間や努力を注いでいるような活動である。

あらゆる趣味活動においてこの考え方は当てはめることができるが、その趣味がシリアスなものかカジュアルなものかを分けるのは活動のジャンルではなく、実際は取り組む態度によってなのである。テレビを観るなど受け身になりがちな趣味でも、シリアスに取り組めばそれはシリアスレジャーになりうる。例えばあるタレントが登場するテレビ番組を全て網羅しシーン・時間別に分析し、関連情報を調査するような取り組み方だと積極的に趣味を楽しんでいると言えるかもしれない。

ここで冒頭の質問に戻ろう。「いつかカレー屋になるんでしょ」と問われたら自分の答えはノーである。今後ずっとサラリーマンを続けられるかはわからないが、カレー屋になるつもりもあまりない。プロとして何かを作り、誰かにそれを提供して対価を得る。それはとても素晴らしいことなのだが、需要と供給がある以上好きなことを自由にできないのが辛い。

自身がカレー活動を行うのは何かを目指しているからではなくそれ自身が楽しいからであって、誰かのためやなにかのためではないのだ。

カントならこういうだろう。

カレーを単に手段として扱ってはならず、常に目的として扱わなければならない。

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