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2020年度中学入試ネタ②「いだてん」金栗四三編

<いだてん・金栗四三編>

「いだてん」といえば、やはり6代目中村勘九郎が演じた最初の主人公・金栗四三です。奇声を発する冷水浴、足袋へのこだわり、独特な熊本弁、やたらと○○を見せるなど、なんだかんだでとりこになった方も多いのではないでしょうか?

金栗四三は、熊本県玉名郡春富村、現在の和水(なごみ)町生まれです。幼い頃は虚弱体質でしたが、学校までの6㎞を走るうちに、強い脚力を得ます。「すっすっはっはっ」ですよ! 現在でも生家の近辺では、当時の雰囲気を残す杉並木が残っています。

東京高等師範学校(現在の筑波大学)に進学した四三くんは、そこで嘉納治五郎と出会い、長距離ランナーとなります。1912年にストックホルムオリンピックに参加しますが、そこで熱中症に倒れ、現地では「行方不明」として処理されます。

1916年のオリンピックは第一次大戦により出られず、20年のアントワープ大会、24年のパリ大会では期待されながらも結果を残せませんでした。戦争に翻弄されたのですね。ですが日本の長距離選手を育成するため、様々な大会を開催します。最も有名なのが箱根駅伝(1920年)です。

金栗四三は教育者としても知られています。本編では現在の学芸大付属竹早で教えていたことが描かれましたね。この他、現在の十文字、獨協などで教えました。これらの学校を受ける方は、きちんと調べておいた方がよいでしょう。

戦争中、金栗四三は青葉女学校で教えます。この学校は現在東京医療保健大学になっており、田村学園(多摩大学)と渋谷教育学園と姉妹関係にあります。ということは、多摩大目黒、多摩大附属聖ヶ丘、渋渋でも出る可能性があるってことです!

金栗四三は、戦後はスヤさんの実家がある玉名市で過ごし、マラソンの振興に務めます。83年に92歳で死去、墓には好きだった言葉「体力 気力 努力」が刻まれています。現在は立派に整備され、観光客も多く訪れています。

金栗四三関係では、熊本県に関することが出そうです。まず熊本地震です。2016年4月14日に益城町で震度7、16日に西原村と益城町で震度7を観測しました。「益城町」を読ませるという問題も出ましたね。

熊本といえば熊本城でしょう。加藤清正が築き、西南戦争で西郷軍の猛攻を耐え抜きましたが、地震によって大きな被害を受けました。関連する歴史の問題が出そうですね。損傷と修復の様子はこちらが詳しいです。

熊本地震では、阿蘇山カルデラの内側にある阿蘇大橋が落橋しました。また隣接する豊肥本線も被害を受け、まだ不通が続いています。阿蘇山とそのカルデラや、関連して全国の火山についても、チェックしておきたいところです。

そして今年は、金栗四三の故郷・和水町が注目されるとにらんでいます。和水町には、江田船山古墳があるのです。ワカタケル大王の名が刻まれた鉄剣ですよ!

金栗四三に関係して、→和水町→江田船山古墳→稲荷山古墳→大和朝廷の支配について、というコンボが予想されるわけです。ひょっとしたら、「いだてん」と「翔んで埼玉」を両方出す学校もあるかもしれません。

このように、金栗四三関係でも、これだけ問題の幅を広げることができるわけです。この広がりをつかむのは大変ではありますが、一方で楽しくありませんか? これこそが社会の楽しさだと思うわけです。

「いだてん」は、確かに視聴率は振るいませんでした。「お話が複雑」という批判もありました。ですが私たちが暮らす「現在」に直接つながる作品でした。中受では、「現在」を考えさせることが増えています。まさに最近の動きにぴったりの題材なのです。

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