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空を飛ぶこと。

 301回目です。φです。

 今日は「猫の日」らしいです。2月22日、にゃんにゃんにゃん。

 2って「にゃん」って言うんですね。不思議。「に」、だけだと思うのですが、まぁ日本語の柔軟さでしょうか(笑)

 語呂合わせ、って本当に興味深い。変化球もたくさんあるし、「え…?ああ、なるほど!」なことが多発しています。考えた人、すごいなぁ。脳が柔らかい。

 私は猫を1日預かったことがあります。本当は飼いたかったのだけど、猫に対して敵意を持つ人が同居しているので、残念ながら。

 で、その猫さん。クイーンの気質をお持ちで、私がレポートを書いている最中に膝に乗ってきました。他の時間は全く寄ってこなかったのですが(笑)

 猫は気まぐれって言うものねぇ。と、思いつつも、私も大層気まぐれなので、「私は気分じゃない~おひとりで遊んでくださいまし!」ときちんと閉じていた膝を広げて猫さん退場させていました。落っことしました。猫さん運動神経良いから大丈夫、怪我していませんよ!

 それの繰り返しをしていました…あ、もしかしてあれって遊んでいるに入るのかも…?どうだったのだろう…。

 気まぐれと気まぐれ、なかなかお互いの気まぐれが合わないと難しいらしいですね(笑)

 けれど、動物と一緒に過ごすって楽しい。言葉を必要としないコミュニケーションって大事だな、と思いました。

 さて、私の思い出話はここまで。今日は空を見ていたら、鳥がたくさん飛んでいたので鳥について書こう。私は鳥が好きです!


 鳥。鳥と言われて、何を思い浮かべますか?

 鶏?カラス?インコ?オウム?シマエナガ?ハシビロコウ?クジャク?イーグル?それともざっくりと小鳥?

 前述した鳥たちは、私の知る鳥の種類でもポピュラーだと私が判断した鳥たちです。ぽ、ポピュラーだよね…?

 私が一番好きな鳥はレイブン・白頭鷲・ヘビクイワシが好きです!一番って言ったけど同着で3種類(笑)

 私は鳥を飼いたいと思うけれど、飼わないだろうなぁ。そもそも飼えない、ということもあるけれど、鳥である彼らには大空を羽ばたく姿を見せてほしいものです。自由を奪ってまで、手元に置いておきたくはないなぁ。

 レイブン、ってご存じですか?日本語では「大烏」「ワタリガラス」とのこと。ロンドン塔の鳥、ということでも有名です。

 名前の通り、普通の烏より大きい。私は実物を見たことがないので、ぜひ見てみたい。

 白頭鷲。アメリカンイーグル、と言ったら伝わりやすいかなぁ。THE 鷲って感じのあの方です。頭が白くて、黄色の嘴で。大きいやつ。

 私の母国の鳥だからか、なんか日本の鶴や朱鷺よりも馴染みがあるというか、なんというか…なんだろう(笑)

 ヘビクイワシ。この方はぜひともググってほしいです。「脚!」しか言いようがないお姿です。脚です。脚なんです。

 鷲のがっしりとした体型とはかけ離れていて、鶴っぽい。目元の赤も綺麗なのですが、頭の髪飾りのような羽が優雅なんです~。

 それでいて、「蛇食い」の名の通り、攻撃力が高い。キック強い。キックすごい。

 私は好きだと言いながらも、どの鳥も実物を見たことがない。動物園にいるかなぁ。

 さて、私の鳥への愛はここまで。

 どの本で読んだか、忘れてしまったけれど、「鳥になれたらいいのに。鳥のように空を飛びたい。」

 この言葉に対して、「鳥は空を飛ぶことしかできない。選択肢がない。」という言葉が書かれてあったことを、私は覚えています。

 この言葉、どう思いますか?

 私は、これの答えを見つけられません。ずっと考えているけどね。

 考えて考えて、それで何とか辿り着いた私の答え。これは問いへの答えになっているかもしれないし、なっていないかもしれない。人によって違った答えがあって、人によって納得できたりできなかったりするだろうなぁ。

 鳥は飛ぶことしか知らない。一応彼らは歩くことは出来るけれど、ほとんどは飛びます。彼らは歩いて遠くへは行けません。

 けれど、彼らにとっては生まれつきそうなのです。生まれたときからずっと。他の手段、他の生き方を知らない。

 それは幸福でしょうか?他を知らないけれど、飛ぶことはできることは。

 人間のような、鳥とは全く違う世界で生きるものには、鳥は羨ましく映るのかも知れない。

 自分たちは飛べない。けれど鳥は飛べる。なんて素晴らしいのだろう!って。自分たちの生きる世界とは違うから。

 私たちは機械に頼れば、なんだってできる。飛行機、車、自転車、船、潜水艦…それらに乗れば、空から海の底まで、行くことができます。

 けれど、機械に頼らなければ歩くことしかできない。それも、そこまで速くないし、体力だって使うし足りないときだってある。

 だから、鳥が羨ましい。彼らは自分たちの力で北から南へと大空を羽ばたきます。人間には決してできないから。

 そういうことなのかなぁ。いわゆる、「隣の芝は青い」みたいな。

 自分にない能力を単純に求める。すっごく羨ましいものに、すっごく素敵なものに見えるから。

 自分を見つめ直すと、「飛ばなくても良いかなぁ。私には脚があるもの。私は飛びたいけど、鳥の方が楽しそうに飛べるもの。」、そう思えてきます。

 自分を見ないで、他のことに目を向ける。それは確かに必要なことだけれど。自分の持っているものに満足してしまうと、それで終わってしまいます。自分の潜在能力を見つける機会すらなくなってしまうかもしれない。

 自分の能力を広げることは大切。けれど、「自分には無い、何も無い」と思い続けることは自分にとって悲しいことだと思う。ちゃんと自分を見てあげる、知ってあげる。

 けれど、ちゃんと自分を見て、自分の持っている能力を認める。これはもっと大切なことだと思う。

 まぁ、ここまで真剣に考えておりますが、私の本心が若干「鳥ってそこまで考えて生きていないような…?」という究極の答えを時折持ち出します。そうかもしれないけどさ!(笑)

 多分鳥にインタビューして、「どうお考え?人間になりたい?飛び続けたい?」って聞いても何にも答えないよ。いやマイクに近づくことすらしてくれないよ。時々人慣れした鳩とか烏とかいるけどさ!

 ほら、人間は考える葦だからさ…例え鳥であっても、考える必要ってありそうじゃないですか…ないか(笑)

 あくまで、「人間から見た鳥」ということになるから、完全に答えを見つけることは不可能だし、人間を排除して真理を見つけることもできないだろう。「人間」が考えているのだから。

 しかも鳥で~、とか言っちゃうと、例外:ペンギンさんがいたりもするし…。世の中難しいね!(笑)

 さてさて、最後の方で「ぶっちゃけ分かんない」な雰囲気を醸し出してしまいましたが、みなさんはどう思うかなぁ。鳥は飛べるからすごい?羨ましい?それとも人間の方が良い?

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