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アジサイを見て思うこと。多様性への柔軟さ。

779回目です。φです。

今現在、梅雨なのか夏なのか何なのかよく分からない時期ですね。私の地元は連日30℃越え、冷房がご活躍中です。

外気温はそんな具合ですが、外にはまだアジサイの花が咲き誇っています。アガパンサスも咲いてはいないけれど、姿を見かけるように。

木にはビワがなっていて、ビワがこの時期の果物だと初めて知りました。ビワ自体は知っているのだけど、そこまで気にしたことがなかった。

なぜか未だに咲いているツツジもある。春辺りから見ていたような気がするけれど、花が長く持つのかもしれない。

色とりどりな世界ですが、やっぱり目を引くのはアジサイ。私は誕生日が梅雨だからか、アジサイには同胞に向けるような感情を持っています(笑)

そんなアジサイ。一言にアジサイと言っても、かなりの種類がある。

まず色が違う。緑、薄い紫、濃い紫、青、白。花の形だって、少しずつ違っていて。

色が違うのは土壌が酸性かどうか、が影響するみたい。…と私は聴いたことがあるのだけれど、白のアジサイの真横は青…というのを見たことがある。なんとも自由なものです。

色が違おうが形が違おうが、それでも全部がアジサイ。

その違いを人は楽しむだろうし、人によって異なる好きな色や形に話を弾ませる。

それが全部のことになればいいのにな、と思う。どんなものでも、違いはあって当然で、それでも評価して、別だから悪いとか、劣っているとか、そういった評価を下さない態度に。

本質が一緒だから、悪い良いはない。それを人は知っているはずなのだけど、何かと「これが違う」だの「正しくない」だの、見た目で判断する。見た目で判断したものを、別のものにも使う。色眼鏡を一度かけてしまったら、それを取ること、そしてそれをかけていると気付くことは難しい。

そういえば、私は”世界に一つだけの花”が印象に残っています。あれは確か、人をひとつの花に例えた歌詞でした。

そうさ僕らも 世界に一つだけの花
ひとりひとり違う種を持つ
その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい

もしこの歌詞のように世界が変わったら、良いものになるんだろうなぁ。それを気づかせてくれる花の偉大さに驚かされます。

私は花だったらなんだろう。ううむ、ハエトリソウかな(笑)

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