見出し画像

デジタル化がもたらしたライフスタイルの変化


私がライターになったのは、世界中が不安と混乱に包まれていたコロナ禍のことだった。不要不急の外出が許されない状況の中、デジタル化の波は着実に我々の生活へと入り込んできていた。

その少し前、私は社会人2年目の終わりに、学生時代に発症した双極性障害が再発し、精神的な錯乱状態に陥っていた。

東京都目黒区の自宅から実家の茨城県に、職場の人の手助けで半ば強制的に戻された。当時の私は実家が大嫌いで、イヤイヤ期の2歳児のように泣き叫んでいた。しかし、そんな抵抗も虚しく、両親の手によって車に押し込まれてしまった。

実家に戻った翌日、初めての緊急事態宣言が発表された。錯乱状態で一人暮らしの6畳ワンルームに閉じ込められる危機を、間一髪で回避したのだった。

茨城での療養生活が始まると、派遣薬剤師として働いていた職場を退職せざるを得なくなり、時間を持て余すようになった。

病状が少しずつ落ち着いてくると、寝るだけの日々にも飽きがきて、何かをしたいという気持ちが芽生えてきた。

ちょうどその頃、医師から「自宅でできる範囲での仕事なら再開してもいい」との許可が下りた。さっそく「薬剤師 在宅ワーク」で検索すると、メディカルライターという仕事が目に留まった。しかし、求人を見てみると、ほとんどの募集は経験者に限られていた。

それでも、リモートワークの急速な普及が進んでいたこともあり、メディカルライターという仕事に惹かれるようになった。薬剤師として働いていたころから、場所に縛られずに働ける環境に憧れていた私にとって、これはチャンスかもしれないと直感した。

経験が必要なら、まずは積むしかない。そう思い、さらに「薬剤師 ライター」「ライター 始め方」で検索を続けていると、クラウドソーシングサービスというものにたどり着いた。

それまでの私には無縁の世界だったが、メディカルライターとしての第一歩を踏み出すために「新規登録」ボタンを押してみた。

こうして始まったライターとしてのキャリアは、今年で4年目に入っている。薬剤師の資格を持っていたことが功を奏し、医療や健康情報を発信するメディアとの仕事に恵まれた。

最初はライターとしての収入を得ることに苦労し、何度も「パート薬剤師に戻った方が稼げるのでは?」と悩んだこともあった。しかし、理想のライフスタイルを追求するために、意地を張ってライター活動を続けてきた。

ライターとして活動を始めて1年半が経過した頃、私は薬局薬剤師を辞め、専業ライターとなった。そしてついに、全国のゲストハウスを転々とする旅暮らしを実現させたのだ。

青春18きっぷを使い、新潟から鹿児島まで縦断する大規模な旅も行った。旅の道中ではSNSで知り合ったライター仲間と各地でオフ会を開き、仕事やプライベートについて語り合った。

さらにその後、私はパートナーと同棲するために茨城を離れ、鹿児島に移住した。遠距離恋愛を1年半続けた末、ついに彼との共同生活を始めることができた。初めての同棲は楽しいことばかりではないが、困難を乗り越えるたびに、彼とともに生きる覚悟を決め直している。

コロナ禍でのデジタル化が、私のライフスタイルに大きな変化をもたらした。薬剤師として働いていたころは憧れに過ぎなかった旅暮らしが現実となり、正社員だったらすぐに決断できなかったであろう鹿児島への移住も、ためらいなく実現できた。

医療資格を持つ者たちも、デジタル化の進展に伴い、より多様な働き方ができるようになるだろう。私が旅暮らしや新天地での暮らしを実現させたように、1人でも多くの人が理想の生き方に近づく世界になってほしい。

私自身も、デジタルの力を活用して、理想を追求する生き方をこれからも続けていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?