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noteお題企画参加作品

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noteのお題企画に参加した作品たちをストックしていきます。
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記事一覧

自己理解でつかむ幸せがある

自己理解でつかむ幸せがある

パートナーと同棲を始めて9か月目、突然彼と別居をすることになった。別居事件は、私が自己理解を始める大きなきっかけになった。

今回の事件は、お金のことでけんかをしたのが引き金だ。私たちは付き合ってからこれまで、ほとんどけんかをしたことがない。私に関しては、親子げんかすらほとんど経験したことがなかった。

だから、感情を伝え合ってわかり合うにはどうしたらいいのか、まったくわからなかった。自分が思った

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「休むのも仕事」の意味に気づいたときのこと

「休むのも仕事」の意味に気づいたときのこと

私は昔から、休むのが苦手だった。「休むのが怖い」とはっきりと自覚したのは、確か高校生のころだったと思う。

高校の入学式で、学年主任の先生から言われた言葉を、私は今でも覚えている。

「何か一つでいいので、高校3年間でやり抜くことを決めてください」

中学校生活は、お世辞にも「楽しい」とは言えないものだった。だから私は「高校3年間、笑顔で学校生活を送る」という目標をそのときに掲げたのだ。

「いつ

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デジタル化がもたらしたライフスタイルの変化

デジタル化がもたらしたライフスタイルの変化

私がライターになったのは、世界中が不安と混乱に包まれていたコロナ禍のことだった。不要不急の外出が許されない状況の中、デジタル化の波は着実に我々の生活へと入り込んできていた。

その少し前、私は社会人2年目の終わりに、学生時代に発症した双極性障害が再発し、精神的な錯乱状態に陥っていた。

東京都目黒区の自宅から実家の茨城県に、職場の人の手助けで半ば強制的に戻された。当時の私は実家が大嫌いで、イヤイヤ

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12年越しの夢を叶えた東京での新たな暮らし

12年越しの夢を叶えた東京での新たな暮らし

12年越しに将来の夢を叶えた社会人1年目の春、私は東京で一人暮らしを始めた。

そう、私は長年の夢だった薬剤師になったのだ。

私が将来の夢に「薬剤師」と掲げたのは、小学6年生のころだった。小学生のころに薬剤師という職業を知っている子どもなんて、どれだけいるのだろうか。

私は小さいころ体が弱く、小児喘息とアトピー性皮膚炎を患っていた。毎月の通院は恒例行事で、母に連れられて病院と薬局をはしごした。

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縁もゆかりもない土地が愛する場所へと変わった1年間

縁もゆかりもない土地が愛する場所へと変わった1年間

2023年の7月、私は長年住み慣れた地元の茨城県を出て、鹿児島県民になった。学生時代も社会人になってからも、ずっと関東にとどまっていた私が、縁もゆかりもない鹿児島へと飛び立っていった。

それは、側から見るとものすごく大きな決断に見えたようだった。

「どうして茨城から鹿児島へ?」
「すごい勇気だね」

移住したんです、と言うたびに、その決断を称えられた。そうですよね、ぶっ飛んでますよね、と笑って

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念願の炭酸水メーカーを手に入れた日

念願の炭酸水メーカーを手に入れた日

2023年11月。我が家に炭酸水メーカーがやってきた。彼と鹿児島で同棲を始めてから、4か月目のことだった。

「誕生日に何が欲しい?」茨城の実家にいる母から届いたLINE。「離れて住んでると、欲しいものとか全然わからないからさ」と。

実家に住んでいたころは、母チョイスで選んでくれていた誕生日プレゼント。茨城と鹿児島で離れた生活を送るようになってからは、リクエスト制が採用されることになったらしい。

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