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わたしの本棚には、母の愛がつまっている #やさしさにふれて


小さい頃から、本は友だちよりもずっと親しい存在だった。1週間で図書館に帰っていく本もいたけど、どこにも行ったりしないわたしの本で、棚はいつも満員だった。

漫画や雑誌はお小遣いをやり繰りして自分で購入していたものの、小説だけは、昔から母が買ってくれた。単行本でも、文庫本でも、それが新品でも中古品でもなんでも。それはダメよ、と言われた記憶はない。

一緒に本屋に行って、これが欲しいのと言えば、じゃあ買おうかと言ってくれるし、選びきれないわたしがじいっと見つめれば、根負けしたようにどっちも買ってあげる、と笑ってくれる。


ネットショッピングをしている母に、欲しい本はあるの?と訊かれるときもある。前触れもなくその質問は来るから少し慌ててしまうけど、本当は、その質問を期待していつも気になる本を探している。

新聞の広告、インターネットの口コミ。

情報を網で掬い上げながら読みたい本を探して、こっそり、誰にも見つからないようにメモしておく。それはさながら、母にだけ打ち明ける内緒事。自分からは打ち明けない。母の扉が開いたときにだけ教えるために、メモは隠しておく。

発売して、メモして、それから数ヶ月経っているときもあって、単行本は文庫本に変化していることが多い。早く言えばいい、とは思う。これが欲しいとねだって、母が嫌な顔をするはずがない。
でもこの時間が、読みたいと思った本に対する愛着を熟成させていくような気がしている。欲しい、読みたい、手元においで、と最後まで濁りのない思いを抱き続けた本だけがやって来る。それが一番美しいと思う。


最初に入った高校に馴染めず登校拒否をし、教師に絶望し、転学先でも上手くやっていけずに休みがちになったときも、母は変わらず本を買ってくれた。進路を決められないまま卒業し、上手に大人になっていく同級生たちと比べてみじめな自分に嫌気が差し、消えてしまいたいとばかり思っていたときも、母は、欲しい本はあるの?と訊いてくれた。
変わらぬ優しさで。
まるでそれがわたしにとって、最善の薬であると知っているようだった。

だって本を読んでいるときだけは、自分の内側にある傷を見つめずにすんだから。ぱっくり割れた傷口に、自己嫌悪を塩みたいに擦り付けずにすんだから。消えてしまいたいと最悪の結末を考える隙間もなくなったし、祖父母の嘆く声も、父の重いため息も聞かずにすんだから。

本とわたし、世界にふたりきり。それはとても静かな孤独だった。



先日、母が思い出したように言った。

欲しい本はあるの?

訊かれたのは実に1年ぶりで、わたしは、あるよ、と即答した。

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昨年がんが見つかり、半年の抗がん剤治療ののちに手術を受け、経過は順調だと言われた矢先に、抗がん剤の副作用による心不全で1ヶ月の入院を余儀なくされ、退院後もまだ投薬治療が続いている母。

痩せ細った母を見ていると、これは現実なんだろうかとときどき思う。様変わりした世の中よりずっと早く、無情に変わってしまったわたしの世界。

非日常がこんこんと続く中、突然降ってきた「欲しい本はあるの?」という言葉は、ずっと続いてきた当たり前の日常を思い出させてくれた。
あるよ、と即答したとき、わたしの頭の中は空っぽだった。でも考えるより先に言葉が口をついて出たのは、きっと嬉しかったからだ。
いま振り返ってみれば、そう断言できる。
なんにも変わらないものがただひとつでもあるってことが、たまらなく嬉しかったんだ。



一度だけ、自分で本を買ったことがある。それはとても読みたかった本なのにいざ手元に来たら輝きを失っていて、そのとき初めて、わたしの本棚に並んでいるのはどこにでもあるただの本じゃないと気が付いた。母がわたしを思ってくれる愛や優しさが、本というカタチでずらりと並んでいるのだ。

だから愛しい。
そうでないと、何だか物足りない。

作家さんの熱と母の温もりが添えられた本たちが、弱く頼りないわたしを今日も生かしている。


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肋骨

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20代 | 箱庭の住人 | 小説が好きというより、言葉そのものが好き | 儚く脆く美しく、柔く優しい言葉を紡いでいたい| ◊◊受賞◊◊ Panasonic×note 投稿コンテスト「#やさしさにふれて」入賞