ハワイキ ヌイ

ハワイキヌイ ヴァア

ヴァアとは言わぬもがな 海に浮かぶ精霊が宿る神聖な木という意味のマオリ語(古代ポリネシア語ともいう)、カヌーとも呼ばれる。

ヌイとは大きな、偉大な、壮大な、という意味のマオリ語、

ハワイキもマオリ語、
一言でいうと桃源郷、
沖縄の言葉のニライカナイのような意味でもあり、
自分の祖先がやってきた島であり、死んだ魂が帰っていく場所、浄土、
新天地、争いも差別もない平和な世界、
 

そんなハワイキの世界を目指し、海を漕いで渡り行き来した勇敢な自分たちの祖先を讃え、敬い、その祖先たちと魂で繋がりたいと願いながら4つの島を3日間、130キロ、6人乗りのヴァアで漕いで渡る。レースとは名ばかりのボヤージング、巡礼のような航海、

それが毎年この季節にタヒチ(実際にはフレンチポリネシアという島々)で開催される祭り、それがハワイキヌイヴァアです。
 
ぼくらオーシャンヴァアは2017年、2018年と連続してこのレースに出場した。

もちろん大会始まって以来のアジアからのチーム、日本初のチームとしての参加だった。
 
ぼくらのクルーは、日本からの参加ということで驚きと好奇の目で、行く先々、島々ですごく歓迎された。

子供たちからは、ピカチューとか、ポケモンとか、カメハメハーとか、ドラえもん、とかトヨタとかヤマハとかスズキと叫ばれて、笑顔で迎えられた。

そして大人からはあれほどの経済大国で、物質的に豊かで、日本人といえばハネムーンで島を訪れるお金持ちのか細いカップルばかり、
というイメージがさぞかしあったのだろう、日本人が海を漕ぐ、日本が島国だと知らない人たちばかりだったのには、こっちが驚いた。

どこに行っても、『日本人が漕ぐの?』と驚かれ、極めつけはレース前に練習で僕らが漕いでる姿を見たタヒチの人達は、会う人会う人、どの島に行っても、皆が口を揃えて同じことを言ってくるのだ。それは、、、

『もっとマナを感じて!!』

『マナを感じて漕ぎなさい』と、

それだけ僕らはマナを感じないで漕いでるようにみえたのだろう、
海やウネリや潮流、風や太陽、地球や星、天地自然の目に見えない偉大なエネルギー(マナ)精霊とも言うのかな、プラーナ、氣、といったらわかるかな、
を全く感じることなく、マナを意識しないで、ただ自分だけでからだを動かして漕いでる、そんな機械のような漕ぎ、彼らから見たら不思議な姿に見えたということだったのだ。


ショックだった。

順位が100チーム中90位くらいだったことよりも、
ぼくはショックだった。

彼らにはわたしたちには見えない、大きく偉大なエネルギーを全身全霊で感じることができ、吸収し、満たされ、つねに天地自然に感謝と畏敬の念をもち、あたりまえの様にその大自然のマナを感じながら海を漕いで渡っているのだった。

そうして、レース最終日、3日目の前夜、明日はライアテア島からボラボラ島まで62キロ交代なしで漕ぐという日の前夜、コーチとして伴走艇にも乗ってくれて島々でいろいろとボランティアでサポートしてくれアドバイスしてくれた現地の現役の30代のパドラーでサーフスキーのタヒチアンのチャンピョンでもあり、毎年ハワイキヌイヴァアにも出場しているTapaさんが、夜のミーティングの時に僕らに話した物語は今でも決して忘れないし、だからこそ、僕は日本でも同じ名前のレースを開催しよう、いやしなければならない、わたしたちの使命だと思ったのだった。

 
それは、タコの神様の伝説であり、自分たちタヒチアンの祖先から代々伝わるマオリの海洋民族の伝説だということなのだ、
 
自分たちマオリ(ポリネシア人)、の祖先はどこから来てどこに行ったのか、そんなタヒチアンならだれでも常識の様に知っている伝説なのだ。

タコの足の様に8つの場所からこのライアテア島にある聖地タプタプアテアにやってきて、航海のために必要なマナをたくさん吸収して、また8つの島に帰って行ったと言う話で、その8つの中の1つの島が北西の方に白い高い山を持つ島、今で言う日本列島だという話しだった。

だからこそ、明日のボラボラ島までのレースは
『単なる競争や競技レースではない。自分たちの祖先が辿った海の道を漕いで帰るつもりでのぞむといい、競い合うのではなく、他のヴァアのクルーたちと共に海を渡ってそのハワイキに帰るつもりで海をこぎなさい』。という話しだった。
そして、『祖先の人達も君たちの前にも後ろに一緒に居て漕いでくれてるから、見守ってくれるから絶対に大丈夫だよ』
という、簡単に言えばそんな話でミーティングが終わったのだった。

はるか太平洋の北のはし日本からライアテア島のタプタプアテアまでマナをもらいにやってきたという海洋民族の伝説ももちろん驚きだけど、、、

それはポリネシア人の祖先がラピタ人で、ラピタ人の祖先が縄文人だったという話や、日本とアオテアロア(ニュージーランド)のマオリ人は太古から行き来していたという伝説も信じるけど、黒潮と海流を今で言う高速道路のように利用して、日本を中心として環太平洋の地域はひとつの文明として繋がっていたとか、縄文土器とよく似た土器がミクロネシアやポリネシア、南米で発掘されてることを考えれば、人類学的にも考古学的にも、説として多くの謎が多い中、可能性があることだし、僕もそう強く信じていることなのだけど、、

それよりもぼくが驚いたのは、長老のよぼよぼのタヒチアンが杖をつきながら話す伝説ではなく、
現役のレーサー、筋肉隆々のアスリートが、そんな海洋民族の話をレース前のミーティングで涙目で私たちに話すほどに、そういう伝説を真剣に信じている。そして心を込めて私たちに伝わるように言葉を選びながら真剣なまなざしで語った。そのことが意外すぎて驚きだったのだ。
 

そういう伝説を信じ、そんな世界観をもって海と向き合い海を漕いでる島の人たちからみたら、わたしたちは海に魂をこめて航海しているようにみえなかったのだろ。

スポーツとして、がむしゃらに、ただ体を動かす運動として、現世界の自分の速さにだけにフォーカスして漕いでる僕らを見て、

島の人達が口にする、、、
『もっとマナを感じて漕ぎなさい』

とは、

『宇宙を、海を感じなさい』

『先人たちを感じなさい』

『海を漕いで渡っているのは今のあなただけでなく、数万年まえの太古からこの地球の海を漕いでる人たちがいた、そのスピリットはめんめんと今に繋がっているということを忘れないでね』

と言ったのかもしれないと

とぼくは思うのだった。
 

大会の主催者の代表Tutuさんは、自分の父親が始めたこのイベントを単なるレースにならない様に大切に守り続けている女性で、レースが終了した次の日に、僕に真剣に語ってくれた。

ぜひ海洋国であり、自分たちの祖先たちが遠い遠い昔にやってきた、そして帰っていった島、日本という島でも開催して欲しい。

いつかは3日間のステージレースでね、と言ったのだった。

勝敗を競い、順位を求め、選手権を目指し、スピードとタイムを追求して海を漕ぐのを決して否定するつもりはない、それもまたカヌーという競技の、海を漕ぐ楽しみ方のひとつだと思う。魅力的なことだというのも理解する。

でも、世界にはこんな世界観と価値観で海を漕いでる人たちがいるということを日本の人たちにも知ってもらいたい。生活する環境が違うので同じ考えを持てとは言わない。彼らのような人種は、はおそらく少数民族であり、今の世の中の価値観では絶滅危惧的な民族なんだと思う。でもそんな彼らは海を漕ぐということに関してはダントツで世界ナンバーワンで、どの人種も敵わない。オリンピックに出るような選手だって敵わないのだ。

その海を漕いで渡る凄さの秘密は、その世界観と海に向き合う姿勢にあるのだと僕は思う。

そして、それはもう眠ってしまってるのか消えてなくなってしまったのかもわからないほどだけど、かつてはこの島国日本にもあった世界観でスピリットだったと僕は心のそこから強く信じている。そしてその海を渡るスピリットは日本が最古で源だったと信じている。


今年もまたハワイキヌイヴァア葉山2022が開催される。

コロナ渦にも負けないで今まで毎年開催し続けてきた。

それは祖先の魂たちが心待ちにしているから。わたしたちと一緒に海を渡ることを望んでるから。

今年も全国津々浦々から海を漕ぐ仲間が集ってきます。

たった30キロを一日で漕ぐレースだけど、心はマオリの人達と繋がっている、魂は祖先たちとつながっている。

そしてこの葉山の海はポリネシアとも世界ともつながっている。
海は一つなのだから、

14海族、総勢84名のボイジャーたちが、時空を超えて、かつて日本にもいた古代の海洋民族たちともつながりながら海を渡るのだ。  

時空を超えて、先人たちとつながり一緒に海を渡ろうじゃないか!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?