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もしもバリアフリー上映の「予告編」があるとしたら

「バリアフリー上映」は、せんだいメディアテークが開館当時からおこなっている取り組みで、目の見えない・耳の聞こえない方にも映画を楽しんでもらえるよう、ボランティアの方々が日本語字幕・音声解説を制作し、映画を上映する事業です。
今まではいわゆる一般の「商業映画」、フィクションの劇映画が中心だったのですが、今回は新しい試みとして「3がつ11にちをわすれないためにセンター」所収の『飯舘村に帰る』という記録を上映します。

『飯舘村に帰る』は、東日本大震災による原発事故で避難生活を余儀なくされた福島県飯舘村の人々にお話をうかがった記録で、みやぎ民話の会・島津信子さんと僕が共同で制作したインタビュー集です。
島津さんが震災後通っていた仮設住宅の方々に、避難指示が解除されて村に戻ってからあらためて話を聞く様子を撮影させてもらいました。
それぞれの人がどのように村で生活してきたのか、必ずしも震災の話に限らず、嫁入りの時や子供のころの家出の話など、一見何気ない話題をあえて中心に据えています。

そしてここからが本題なのですが、今回の上映にあたっての新しい試みとして、「バリアフリー上映」の「予告編」というものをつくりました。「予告編」といえば通常は上映する映画のストーリーなどを紹介するものですが、この予告編は「予告編」と言いながらも、作品自体の内容にはほとんど触れていません。
映っているのはおもに、日本語字幕・音声解説ボランティアのみなさんの「制作風景」なのですが、なぜそうなっているのかという理由を、ここに書いてみようと思います。それは一言でいうと「バリアフリーをプロセス全体としてとらえる」ということです。

『飯舘村に帰る』は、仮設住宅から村に戻った方々が、かつての暮らしや村への思いを語ったインタビュー集です。フィクションではないので、話される言葉は整理された「セリフ」ではありません。映像に映っているのは、一般のひとが茶飲みばなしのように普通に話している言葉遣いで、しかもそれが福島の方言だったりします。

そのため、例えば日本語字幕をつける際に「方言をそのまま文字にして伝わるのか」、音声解説では「実際の村の風景のどの部分をどんな言葉で伝えるのか」など、これまでの商業映画での制作にはなかったような、さまざまな問題が発生します。
僕自身も制作を見せてもらって、それが一筋縄ではいかない大変な作業であることを実感しましたが、同時にその「試行錯誤」にこそ、今回のバリアフリー上映の意義があるのではないかと思いました。

自分の撮った映像をバリアフリー化してもらうことになって、あらためて「バリア」とはなにかについて考えました。日本語字幕・音声解説というものの存在は知ってはいましたし、「そういうものが映像に加わった状態」のことを「バリアフリー」と呼ぶのだろうと、漠然とですが思っていました。
しかし実際に制作過程を見ているうちに、それはバリアフリーのごく一部、つまり「結果」に過ぎないのだということに気がつきました。

それは例えば、こういうことです。当たり前ですが、日本語字幕や音声解説が必要になるのは「映画が上映される」からです。もし映画を誰にも見せないのであれば、字幕も解説も必要ありません。
つまり、映画を上映しなければそもそも「バリアもない」ということです。しかし、だからといって「何も上映しない」状態が「バリアフリー」なのかというと、やはりそれは違うでしょう。どうやら単に「バリアがなければバリアフリー」というわけではないようです。

バリアフリー上映はまず、「映画を誰かに届けよう」「上映しよう」と思わなければはじまりません。それはバリアを消すことではなく、逆に、発生させることです。
つまりこの場合、バリアをなくすことではなく、むしろ「つくりだす」ことが、なによりもまず「バリアフリー」の第一歩だということになります。

映画の上映を企画し、その作品が何を伝えているのか、誰に伝えようとしているのか、どうすれば伝わるのかを何度も問い直し、「結果」としてある音声解説・日本語字幕が加わって、その映像を実際に上映して誰かに届ける。「バリアフリー」とは単に「バリアがない」状態ではなくて、このような「プロセス」全体のことなのではないでしょうか。

だから僕は、もしバリアフリー上映の「予告編」があるとしたら、それは作品の内容だけでなく、制作の「プロセス」を見せるものなのではないかと思いました。
あるいは逆に、ボランティアの皆さんの制作の記録をあえて「予告編」と呼ぶことで、「バリアフリー上映」の意味をより「プロセス全体」としてとらえられるのではないかと考えました。

『飯舘村に帰る』は、商業映画でもフィクションでもない自主制作のドキュメンタリーです。整理されたセリフもわかりやすい説明もない映像に日本語字幕や音声解説をつけていく作業は、今まで以上に困難なものだったでしょう。しかし、そこで生まれる「試行錯誤」こそ、「バリアとはなにか」を問い直し・考え続けていく、「プロセスとしてのバリアフリー」なのではないかと思います。

バリアフリー上映の制作風景を中心にした「予告編」は、このような意図で作られました。
「予告編」には音声解説や日本語字幕はついていませんが、それはこの映像(や上映会)が、視聴覚に障害のある当事者の方だけでなく、広く誰もが「バリア」について考える機会になればと思ったからです。

『飯舘村に帰る』バリアフリー上映、本編はもちろん、「予告編」もぜひあわせてご覧ください。ご来場お待ちしております!

詳細、申込みなどは以下のリンクより。(申し込み受付は終了しました)
https://www.smt.jp/projects/bfdesign/2020/09/post-21.html

【『飯舘村に帰る』バリアフリー上映】
2020年11月29日(日)
①10時30分から12時30分/上映後のトーク(45分間、手話通訳付き)ふくむ
②15時から16時/上映のみ 
※各回30分前開場
会場:せんだいメディアテーク7階スタジオシアター
入場料無料、要事前申込(各回定員45名、全席指定、申込多数の場合は抽選)
主催:せんだいメディアテーク

『飯舘村に帰る』/2019年/55分/制作 島津信子 福原悠介
山形国際ドキュメンタリー映画祭2019 (ともにある Cinema with Us)福島映像祭2020で上映

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「バリアフリー上映『飯舘村に帰る』予告編」
構成・編集:福原悠介
撮影:相原洋
音楽:澁谷浩次(yumbo)
「二十六夜待ち:テーマ (Waiting for 26th Night - Theme)」
https://yumbo1.bandcamp.com/album/music-for-films-2015-2017

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映像と記録。https://www.petrajp.com/ 監督作:『家にあるひと』『飯舘村に帰る』 参加作品:『空に聞く』『二重のまち/交代地のうたを編む』、本:『セントラル劇場でみた一本の映画』ワークショップ:「対話インタビュー」