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No.246:こちらから歩み寄る共感

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皆様いかがお過ごしでしょうか?通常業務+遠隔業務のための雑事で、なにやらいつもより忙しく過ごしているkonamaです。

こんな時期にちょっと読みたいと思っていた新刊が続いて、アマゾンに頼むのも気が引けるし、大きい本屋はちとリスキーだしなあと、近所の人口密度低い本屋をのぞいてきました。さすが村上春樹、ちゃんと発売日に積んでありました。お父様についての回想のエッセイとのこと、割とさっくり読めそうな厚さです。

昔から読書感想文は苦手だし、この部分がこう…と分析的に書くのが正しいのでしょうが、そこはパンダなので、今回猫を棄てるを読んで、はっと思ったことを何の証拠もなく書いてみますと、上のようなものが出てきました。

これはイメージなので、そんなところどこにあるといわれると何とも言えないのですが、村上さんの本て(エッセイは特に)「これこれこうした時にふと生まれる何とも言えない○○」みたいな説明が多い気がするのです(小確幸的な?)。もちろん、今日は楽しかったですみたいな小学生の夏休みの日記みたいのが読みたいわけではないので、それでいいのですが、実際その心持ちやその間がどんなものかは書いていないわけです。
 この条件設定が微妙でかつかなり細かいので、ついつい、「そうそう、わかるかわるその微妙な感じ。まさにそれだよ、よくわかってるな村上春樹」くらいな勢いでうなづきつつ、先に進むわけですが、よく考えてみれば、その条件下での自分に最適化したイメージを膨らませて読んでいくわけですから、そりゃまあしっくりくるわけですよね。すくなくとも村上氏本人が思ったことと同じ保証は何にもない。

このヴィーナスの欠けた腕的な、美女を絵で描くのは難しいけど文字で書けば読んだ人それぞれの美人がイメージされるから大丈夫的な、そういう仕掛けがうまい方なのだろうなあとなんとなく思ったのでした。さらにいうならば、このベストのイメージを浮かべるのよりも、より積極的に文脈に合わせた形で、自分の共感をこちらから寄せていくような不思議な感覚があるのです。なんかいろんなところにへこみがあって、そこに自分の要素を埋めていくようなそんな、同調はするけど決して混じり合わないイメージ。

たまに置いてきぼりを食うこともある。今回の本のお父様との葛藤の辺りは具体性や個人性がざっぱりと刈り取られた形で、よくある形として表現されているけれど、共感や同調は寄せ付けない。

そんな緩急のつけ方が面白いのかもなあと漠然と思った読後でした。本にはしないだろうけど、今回出さなかった部分についての物語が、また大きなストーリーの井戸につながっていることを期待して。


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