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アジサイから妄想する、公園植物のおすそ分け交換会

お久しぶりです、お元気ですか?つくし公園の花壇も、元気に育ってます。みんなのおかげで無事に梅雨を乗り越えることができ、次は夏の猛暑、さてどうなるか。

ちなみにピンクのぞうさんジョウロと、白い200円ジョウロはなくなってしまいました。フェンスにS字フックでつけておいたのですが、何かの拍子にどこか別の世界へ行ってしまった模様。そして、ミドリのぞうさんジョウロが2代目ぞうに就任しました。みんなの家で眠ってたぞうさんジョウロが、次々と活躍をしています。

7月はアジサイの剪定の季節

さて、鎌倉の梅雨を彩ってくれるアジサイ。つくしにもあります。いろんな色のアジサイ、あじさい、紫陽花。昔誰かが植えたのだろう紫陽花は、どんどん大きくなって、大人の背丈よりも大きくワッサーっとなって、もこもこ咲く花の前で、何組の人力車観光客が写真を撮ったかわからない、土曜なんか数分ごとに人力車がどんどん来ては写真を撮られる人気者。

花が終わったら、来年またよく咲くように剪定しておくのが、アジサイ。秋の終わり頃にはもう翌年の花芽ができるそうで、それまでに剪定しておくと、切った脇から2つの芽が出て育っていくんですよね。大きくなるので、思い切ってガッツリ切っちゃって大丈夫。

剪定することで来年の花がしっかり楽しめるんだって知らなかった頃は、井の頭線の線路脇にある数々のアジサイが、ある日ガッツリ丸坊主に散髪される様を見ては、ちょっとお気の毒に感じていた私も、今ならそれが愛だって胸を張って言えるようになったのでした。

ってことで、7月の公園そうじは、アジサイの剪定にトライ。

切っても楽しいアジサイ

家庭用の植物バサミでガンガン切っていきました。今年伸びた緑色の枝も、それより前から生えてる茶色い木みたいになってる枝も、とにかくチョキチョキ。切った枝葉が山のように積み上がっていく様子を見ていた子どもたち、早速その中から花を見つけては発掘してブーケをつくって遊びはじめました。

ブーケをつくったり、花だけ集めて水に浮かべてみたり、いろんな色を集めたり交換したり、飾りつけたり。思いっきり花で遊べるのは、この剪定日ならではだし、みんなでできるのは公園ならでは。

去年のアジサイの花遊びはこんなことになっていたっけ↓

終わりかけのアジサイは、色が濃くなったり深みが出てきたような感じもして、咲き始めの瑞々しい感じとはまた違って、ブーケにするとどことなくアンティークな色合い。子どもがつくったブーケは、うちでそのまま吊るして飾ってドライにしておくことにしました。

ちなみに切り進めていったら、なんと蜂の巣に遭遇。チョキンと切った枝に「ん??何かついてる」。たしかに蜂がブンブンしてたけど、巣があったとはね。びっくりして段から飛び降りたら尻もちついた。刺されることもなく(よかった!)、勇敢な仲間のおかげで蜂の巣を取り除くことができたけど、蜂の夫婦は、いきなり家がなくなって、しばらく元家のあたりを探し回ってたよね。ごめんね、蜂!でもできれば引っ越してほしい!

挿し木で増やせるのも、また楽しい

そうなんです、アジサイって、挿し木で簡単に増やせるんですよね。葉っぱが出ている根元にツブっとした芽の素が、葉になったり根になったりするので、超ざっくり最低限、葉用と根用で2節あればOKで、水に入れて根が出たら土に挿せば完了(詳しくはどこかのサイトを参照すべし)。

花を飾って楽しんだあとに、要らないところを切って挿し木にして育てることもできるから、私も友だちにもらった紫陽花を鉢植えにしてベランダにかざってる。そのくらい気軽に増える。

そして、アジサイって種類がものすごくある。元々日本の原産で、三浦半島で咲いているアジサイを見たヨーロッパ人が、持って帰ったら、青かった花の色が変わって驚いたとか、丸く咲くように品種改良したのが逆輸入されて西洋アジサイと言われてるとか、諸説あって、アジサイ語り出したらなんだか止まらなくなっておりますが、とにかく丈夫で楽しい植物。いろいろあると楽しいし、公園にも相性が良い。

植物のおすそ分け交換会、やったらどうだろう?

剪定枝のように余って捨てるものから、どんどん増やせるけど、買うと高いのが植物。もちろん育てるその手間暇や、ほしい時にほしい種類や大きさが揃ってるという側面でみると植物屋さんの存在や偉大さは欠かせない。けれど、公園のような、公共の場所・地域のみんなの場所には、地域の植物をおすそ分けしながら増やしていくというのは、ひとつの良い方法なんじゃないかと思う。

古くからその地域に生えている植物や、近くの山にある植物。いろんな種類の植物があると、季節ごとに咲く花や移り変わる風景に、人も癒されるし、虫や鳥にとっても豊かなのではないかと思う。

近くの公園同士で、公園と近所の人たちで、植物のおすそ分け交換会。公園のアジサイを交換しあって種類が増えたり、ご近所のお庭で元気よく育ったハーブをもらったり。

公園のアジサイで、挿し木の苗をつくって、売ったお金を、公園愛護会の活動費にして、そのお金で道具を買ったりもできる。貨幣経済の流れにのせなくても、草抜きや掃除をするとか、別の植物を持ち寄るみたいな、物々交換や物技交換のような交易だって良い。

もちろん、公共の場である公園に、好き勝手に植物を植えていいワケではないから、そこは何らかの対話が必要にはなると思うけど、愛護会のようにいつも公園のことを思って活動している人たちが数人いて話をすれば、とんでもないことにはならないと思う。もし誰か「この広場の真ん中に空まで届く巨大な豆の木植えようよ!」など突拍子もないことを言い出す人がいても、「いやいや、それはさすがにちょっと待ったじゃない?」とストップすることになるだろうから。

個人の趣味の庭ではなく、それぞれの地域と人々の個性や対話がつくり出す地域の庭。どこも同じ通り一遍の行政ルールだけじゃ成し得ない、そこを想う複数の人々の対話から生まれる、やわらかな良き余白。ゆらぎ。スキマ。よどみ。容認。

人が集まることが減って、おしゃべりする機会も減っているけど、植物は誰かと繋がれる機会になるし、繋がりを継続して思い続けることができるツールだと思う。

この間、こどもの保育園で多肉植物が「ご自由にどうぞ」されていたので、うちで増えた別の多肉植物をプレゼントしたら、また違う種類のをもらうことになった。こうやって最近多肉の種類が増えてきたのだけど、このやりとりも楽しい。ただもらうのも嬉しいし、あげること+誰かがもらってくれることも嬉しい。

公園に限らず、植物の交換って、面白い。メダカもほしいなあ。

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