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梟(フクロウ)の栞

私は、梟の栞をよく使っている。特にこだわりがある訳ではないけど、大切に使っている。

ちょっと今日は、梟の象徴的意味合いについて、自分の意見を語りたいと思う。

梟は、知恵の象徴である。

……という風に世間で語られていることが、私は、どこか嫌悪感を抱いてしまって、「本来の自然に生きている梟とは何の関係もないし、人間が作り出したものに過ぎない。」と、思っていた。

「象徴」には、色々な役割があるらしい。文化を後世に伝えるための役割や、それらを視覚的に表現したりする。

とはいえ、象徴としての意味を知らないと、相手に伝わらないし、また現代社会において、花言葉等の身近なものを含め、象徴的意味合いは果たして重視されるものなのか。そして、それではその役割を果たすことが出来ないのではないかと思った。

それはどうやら、年齢層や文化的な背景に寄るみたいだけど…。

そして…。象徴として人間が梟を大切に扱っていることに対して、私自身がその人々の大切にしている気持ちを、大切にすることが出来ないということを、人々の知恵を大切に出来ないことだと私自身自分のことを責めていた。

でも、それで自分の事も尊重し、同時に相手の考えも尊重することが大事で、自分のことを責めたり否定するものでは無いと今は思う。

私たちの知識は道具であり、人間を知る為の道具でもある。感受性は人々に元々備わっているものであり、人間から生まれた知恵や知識もまた尊重するべきだ……と。

私は資本主義の本を少しだけ読んで思ったのが、アニミズム的文脈で受け取る、自然の生態系に感謝の意を示す彼らなりの文脈で生まれた象徴的意味には、私は深い共感を示したいと思った。

元々、人間は自然の生態系の中の今の動物たちと一緒に共存していた、生物であり、昔の人たちは自然の恵みに感謝しながら、必要以上に動物を殺めることはしなかった。………………


私は試しにchatGPTくんに「地球が消滅する時、あなたはどのような対応を取る?」と聞いてみた。

そしたら、
「最後まで人々が落ち着いて対処出来るようにお手伝いする」との事だった。

私は、先程のアニミズムから着想を得て……

「人間は罪深くもあり、何かを愛する存在でもあるのです。私は、天国は昔の地球だと思っています。それは、生態系として人間もまた動物と同じ、生物として生きていた時のことです。地獄は、人間が作ったものだと思っています。その昔の人であれば、たとえ地球が終わりを迎えようとも、自分が生を終えるのと同じように、土にお返しをすることでしょう。」

chatGPTとの対話の中の私の見解を述べたもの

私は天国は、昔の人々であり、地獄は人間が作り出したものであり、人間がもし、地球に犯した自らの罪を償うとするなら、それは生き物と同じように自然界で生態系の中に生きることと同じことだと思う。

よく、「持続可能」という言葉を聞くが、自然界に生きる人間であれば、きっと自分の生を終え、生態系に沿って土にお返しをするのと同じ様に、地球の終わりを迎えるのだと思う。とても美しく、幸せなことだと私は思った。


私はこれからの人生で、どんな事をして、どうやって生きていこうかな。。

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