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桃のように熟れた愛。

亡き祖父がキッチンに立つのを見たことが無かった。

高校生までは一緒に住んでいて、毎日一緒に居たのだが、料理をする姿を見たことは一度もない。

祖母は専業主婦だったし、毎日ご飯を作るのが当たり前のような生活になっていたから、もちろんその必要も無かったのかもしれないけれど。

そんな祖父が唯一キッチンに立つ瞬間があった。

それが、桃を剥く時。

祖母は料理が上手で、本当に色々なものを作ってくれたが、桃を剥くと手がかゆくなる!と言って桃だけは剥くことがなかった。

しかし、そんな祖母も桃が好きなようで

「桃が食べたいなぁ。」

と買い出しの先で祖母がつぶやくと、そっと買い物籠の中に桃を入れて夕食後に剥いてあげる祖父の姿があった。


包丁を使い慣れていない祖父が剥いた、ちょっといびつな桃。

熟れていて甘くて、私にとっても特別な存在だった。

そんな桃を「美味しい。美味しい。」と言って口に運ぶ祖母の横で、寡黙な祖父はなにも言わずに自身も淡々と桃を口に運ぶのだった。



長いこと二人と一緒に住んでいて、私にとっては親のような存在だったが、祖父と祖母が仲睦まじそうにしている姿を見たことがない。

祖父が祖母の料理に「美味しい。」と言っているのを見たこともないし(逆に文句も言わないが)、二人で仲良くお喋りをしているのを見た記憶もあまりない。

寡黙な祖父は、愛情表現も不器用だったのかもしれない。

そんな祖父の精一杯の愛情表現が、桃を剥いてあげることだったのかも。


桃を見るといつも二人の関係を思い出すのだ。

当たり前のようにそこにある、日常の中の温かな存在。

長く時間をかけて育んだ二人の愛の形は、きっとよく熟れた桃のように甘くて柔らかで繊細なものだったのかも。



先日、桃をいただいたので実は私も夫に「桃を剥いて。」とおねだりしてみた。

渋々キッチンに立つ夫は、種から外れない果肉に悪戦苦闘した挙句にドカンと丸々の桃を出してくれた。

二人で一つの桃を仲良くかぶりつきながら食べた。

笑い合いながら取り合って、甘くて実に楽しい時間だった。

きっとこれが私たちの愛の形なんだろうな。


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