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全員発達障害の家族が一つ屋根の下で暮らした20年

父ASD、母LD、妹ASD、私はADHDとASDとLD

大阪の下町で4人、貧乏でも裕福でもない一見普通の家族。

都会育ち父は高IQだがロボットのように人の感情がわからず、知能が低くて失敗が多い母にキツく当たる。自分と考えが違う者や自分の邪魔をするものは排除。差別主義者だった。

田舎育ちアダルトチルドレンの母は感情だけで生きているヒステリックメンヘラ。親から逃げるように大学を出てすぐ結婚し、田舎から都会に移住したものの環境に適応できなかったのだろう、スイッチが入ると家の中をぐちゃぐちゃに暴れまわり手が付けられない。そうかと思えば寝室で引きこもって泣いてばかり。パニック障害も酷く、お弁当も作ってもらえなかった。

姉妹はお互いに興味がなく、妹は本や舞台の世界に入り込み現実逃避、私は外の世界への憧れだけで生きていた。親の逆鱗に触れないように、私はなるべく外で時間を潰して帰宅、妹は自室でただただ静かに過ごすのが日常だった。

しかし静かな妹と比べて典型的なADHDだった私は、悪気もなく周囲を振り回す。時間割や整理整頓など、普通に普通のことができない。外面は良く、学校では褒められる子だったが、家では何もかもがちゃんとしていなかった。激昂した母は私を追いかけてまわり、叩く殴る蹴るを繰り返す。怒られて反省しても結局上手くできない(発達障害なので当然)ので、暴力は日々加速していく。

ひどい時にはテーブルの上に並んだ熱々のご飯をテーブルクロスごとひっくり返され、熱湯でできた紅茶を身体にかぶった火傷にドロドロのシャツで習い事に向かった。身体に手のひらの型が綺麗につく程強く叩かれ私をお風呂に入れた祖母が虐待を疑う事もあった。(無論、嫁姑の仲は最悪)

怒られればすぐベランダや廊下に放り出され、鍵をかけられる。お隣さんがびっくりしてうちのインターホンを鳴らす。昼夜問わず怒鳴りつける声が響いていたのでご近所かでもきっと悪い噂が立っていただろう。当時は今ほど虐待や体罰に敏感な社会ではなかったので、そういったことで親が通報されるなんて事もなかった。

親戚も離婚家庭ばかりで疎遠が多かった。祖母は「お父さんはお嫁さん選びを間違えた」と5歳の私にずっと愚痴を言っていた。当時は家に帰りたくないので祖母の肩を持っていたが、父親が心を壊してロボットのように育ったのはこの人のせいだと今ならわかる。私の親もまた、親に苦しめられて育っていたのだ。それがわかってからは両親を恨む事もなくなった。悲しみの連鎖は、私がここで止めなければならないという正義感に変わったから。

人懐っこくて根っこが明るかった私は勉強だけは頑張り、周囲に助けられ、着替えさせてもらったり、ご飯をもらったり、祭りのクジで欲しかった物を当てたりしてそれでもうまく生きていた。

対する妹はおとなしいので直接的に暴力を振るわれることはないものの、殴られ蹴られる私をずっとドアの隙間から見ていた。「私がお姉ちゃんを庇ったら母がもっと暴れてしまう」「私は感情を殺そう」という気持ちが根深くなった妹は、のちに鬱と摂食障害になり青春のほとんどを病床で過ごすことになる。

結果的には先に妹の、そして次に私の発達障害の診断が下りて、私は大学生で家を出た事によって家族の関係は少しずつ良く変化していくのだが、私は未だに様々な場面で辛かった日々がフラッシュバックし、足が前に進まなくなる。

高校でボランティア活動に関わり、福祉に興味を持てたことは幸いだった。自分の味わった苦しみ、辛い経験が、人の役にたてば良いと思った。人の気持ちに本当に寄り添える、共感できる人間でありたいと思った。

大学で福祉を専攻するとやはり児童虐待や母子保護について学ぶことは避けられなかった。授業で見た虐待に関するドキュメンタリーでは身が硬直し、周りは皆泣いていたのに泣けなかった。一人暮らしはホッとした。家族とも良い距離感を保つことができた。ただ置いてきた妹のことはずっと気がかりだった。

母は私が二十歳を過ぎた頃、昔のことについて謝罪してきた。私は障害があったせいだからと母を許した。その後表面的には家族関係は修復し、イベントごとはきちんと祝い、二十歳には親に感謝の手紙を書いている。旅行に行けば親のお土産も買うし、まだ機嫌を取るような言葉も使う。

突き放したところで過去は消えないし、障害者として生まれてきた自分も悪かったと本当に思っている。

それでもパートナーと出会い、いざ自分の家族について考えると子供なんて産む気にならない。そして素敵な家族を見るとどうしようもなく悲しい。

このように家族に対して私のような、いや私以上に辛い想いをしている子供たちは日本中にいる。私は今は鬱で身動きが取れないが、結婚しても自分の子は持たず、不幸な子供たちのために活動する事を将来の目標にしている。そしてそれがいつか自分の心をも救うことを望んでいる。

子供食堂や放課後支援、居場所作り…なんでも良い。いつかあの時一人ぼっちでガレージで時間を潰していた頃の私の心の声を、何かに活かせた日がきたら、きっと心が救われるだろう。

もし悩んでいる学生が居たら相談して欲しい。ボール遊びの相手でも、愚痴聞きでも何でも良い。辛い時間を乗り越えて、生きて幸せになれますように。





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ありがとう
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青春ど真ん中のある日、発達障害と診断されました。できるだけ普通を装って生きる自分と、ポンコツでどうしようもない自分の演じ分けの日々。高学歴ニート、20代で引きこもりになった私が、この世界で必死にもがきながら生きるための記録です。

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コメント1件

頑張って👍
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