今更ながら「逃げ恥」を見て思うこと:運命の人を探すことは、天職を求めることに似ている
「Szégyen a futás, de hasznos.
恥ずかしい逃げ方だったとしても、生き抜くことが大切。」
「逃げるは恥だが役に立つ」という言葉は、実は”ことわざ”です。
ハンガリーにおける公用語”ハンガリー語”で書かれている(であろう)上記の「原型」は、残念ながら私には全く読めません。
そんな含蓄のあることわざがタイトルとなったドラマが、再放送されています。(毎週火曜の夜10時〜です。)
毎週録画して、翌日にお昼ご飯を食べながら見ています。
今まで一度も見たことがなかったために、毎週の楽しみの一つとなっております。
そんな「逃げ恥」を見ていて思ったことを書いていく、そんな記事です。
しばしお付き合いください。
以前、「科学的な適職」と言う本を読みました。
この本によると、「天職とは初めから存在するものではなく、その仕事を続けていくことで天職となるのだ」という主張があります。
この主張の賛否は置いておいて、これを「運命の人は存在するか」という問いに応用します。
あなたはこの問いについてどう考えるでしょうか。
私は、運命の人はいないという立場を割と昔からとっていました。
ですから、あまりに高い要求を将来のパートナーに当てはめたり、求めたりすることは非論理的だと考えていました。(今も。)
なぜか?
「運命の人とは、関係を深めたり、付き合っていく過程でその人とのやりとりを数えられないほど繰り返し、そのうちに相手をさも運命の人だと思うようになるのだ。」と考えるからです。
「逃げ恥」の主人公である津崎平匡(星野源:以下、平匡)と森山みくり(新垣結衣:以下、みくり)は初めはただの雇用主と被雇用者という仕事上での関係に過ぎませんでした。
しかし、平匡の謙虚さにみくりは惹かれ、みくりの些細な気遣いに平匡が惹かれといった具合に、互いに少しづつではありますが、確かにその距離を縮めていきます。
最終回がどうなるのかわかりませんが(7/3現在)、おそらく晩年まで仲睦まじく添い遂げる、掛け替えのない関係になるのでしょう。(そうならなかったら切れます。)
ここで注目すべきは、この2人は最初の出会いも立場も「恋人」からはかけ離れた関係だったことです。
少しずつ距離を縮めて行ったことで、最初は全く運命の人などと思っていなかった2人が、次第に互いにとって理想の人だ、運命の人だと思うようになる。
先に述べた天職の概念にそっくりだとは思いませんか。
仮に、2人が”運命の人”を求めて頑なに関係を深めようとしなかったら、どうなっていたでしょう。
灯台もと暗しの如く、一番近くにいる「運命の人になる予定だった人」に気づかずに時だけが過ぎていったはずです。
確かに、一般的にもてはやされる「運命的な出会い方」が全くないとは言いません。
しかし、ある動画によるとこう言った運命的なシチュエーションが発生する確率は約35億分の1(0.00001%)だそうです。
本を読んでいて、「諦める」の本当の意味を知る機会がありました。
実は、諦めるという言葉はネガティブな意味だけに留まりません。
なぜなら、諦めるは「明らかに見る」という意味だからです。
これまで執着していた幻想を”諦め”、本質を”明らかに見る”ことでこそ、幸せに生きることができるのかもしれません。
本質にたどり着くために必要なのは、情報です。
自らの脳内に深く根ざした偏見を取り去ることができるのは、情報によって得た知識による思考です。
「一人でも多くの人に、できる範囲で知識を共有したい。」
私がこう願うのは、以上のように、知識こそが人を変えるという信念を持って日々を過ごしているからです。
偏見は、執着は、あなたを盲目にするものです。
日々学び、結果として視座の上がった視点から見る世界は、以前よりも鮮やかで、美しく、ときに複雑に、それでいてシンプルに見えるはずです。
すると、日常が非日常に囲まれて生きているという事実を実感し、日々をより大切に生きられると思います。
これからも、あなたに「知る」喜びを伝えられるような記事を書いていきます。
どうぞ応援よろしくお願いいたします。
最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。
それでは。
[参考サイト]
タイトル画像はこちらから引用
ことわざの意味はこちらから引用
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