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僕のヒーローたち:新庄、Yoshiki、Voyager〜1%の可能性があれば!

みなさんが子供時代に憧れたヒーローは誰だっただろうか。

スポーツ選手だったり、歌手や俳優だったり、科学者や政治家かもしれない。3歳のミーちゃんの目下のヒーローは『アナ雪』のエルサだ。先月のハロウィンでは、ミーちゃんのコスチュームはもちろんエルサ。姫のご指定により、妻はアナ、僕はオラフにさせられた。(ちなみに、保育園のハロウィン・パーティーではエルサが6人いた。)

僕の子ども時代のヒーローは3人いる。惑星探査機ボイジャー、X JapanのYoshiki、そして阪神タイガースの新庄剛志である。

人間ではないものがひとつあるがお気になさらないでいただきたい。宇宙人ではないかと疑われている方も一人ないし二人混ざっているが、それもツッコまないでいただきたい。何にしても僕は宇宙の香りが好きなようだ。

もう何度も書いたが、1989年、僕は6歳の時にボイジャー2号の海王星接近を見て「宇宙開発をやりたい!」と思った。ボイジャーのように遠く遠くの宇宙を旅する探査機を作りたいと思った。そしてその24年後にボイジャーを生んだNASAジェット推進研究所に就職した。

Yoshikiを好きになったのは中学生の頃。「ビジュアル系」全盛で、僕もバンドを組んでGlayやLuna Seaを弾いた。Yoshikiはいわば「ビジュアル系」の天照大御神のような存在だった。実はXはミリオンセラーのシングルが一枚もなく、アルバムも4枚しか出していない。しかし、新曲が量産されては消費され忘れられていったJ-POP全盛の90年代、彼らの曲はなぜかいつまでも心に残った。そして、とにかくカッコよかった。どこまでもカッコよかった。

そして新庄。僕は言葉を覚える前に大阪の祖父母から六甲おろしを仕込まれた。だから物心ついたらすでに阪神ファンだった。アイデンティティーの一部といっても過言ではない。阪神ファンではない小野雅裕は小野雅裕ではない。

僕が少年時代を過ごした1990年代は、阪神タイガースの惨憺たる暗黒期だった。唯一優勝が見えたのが1992年、僕が9歳の時。桂三枝(現・文枝)さんが「優勝しなかったら坊主になる!」と宣言し、本当に丸坊主になってしまった年である。

この年に超新星の如く現れたスターが、新庄だった。打率は2割5分そこそこなのにチャンスにはめっぽう強く、美味しいところはだいたい持っていく。球場が満員になると打率が上がる。投手挑戦。レーザービーム捕殺。そして伝説の敬遠球サヨナラヒット。ファンのサインに応じていたら新幹線に乗り遅れたり、年俸の9割を使って高級車を買ったら税金のことを忘れていて借金したり、といったエピソードにも事欠かなかった。お茶目で、お調子者で、ポジティブで、発言は意味不明で、数字には現れない魅力があった。

2000年の暮、僕が受験生だった時、新庄はメジャー挑戦を表明した。阪神からは5年12億円のオファー、ニューヨーク・メッツからは最低年俸2200万円。それでも夢を選んだ。イチローのメジャー移籍と同じタイミングで、それまで日本人野手のメジャー選手は誰もいなかった。

当時の世の中はイチローに対してさえ懐疑的だった。誰も新庄がメジャーでやれるなんて思っていなかった。「アホ」「無謀」「考えが甘い」とテレビの評論家はこき下ろした。批判をものともせず、彼はインタビューでこう言い放った。

「記録はイチロー君に任せて、僕は記憶に残る選手になる。」

そして新庄はアメリカで予想外の大活躍をする。満塁ホームランを打ち、4番を任され、日本人初のワールドシリーズ出場も果たした。4年後に僕が渡米を決断した時、幼少からのヒーローがアメリカで夢を叶えた姿が心の中にあった。

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ヒーローは自分の先を走る。そして先に老い、先に表舞台から去っていくものである。

ボイジャー2号は海王星を通過した後も稼働は続けていたものの、目立った探査目標もなく、1990年にはカメラの電源が切られ、ニュースになることはほとんどなくなった。太陽系探査の表舞台は、後継のガリレオ、マゼランやカッシーニ、そして火星ローバーに譲った。

X Japanは僕が中3だった1997年に解散し、翌年にはギターのHideが死んだ。失意のYoshikiは表舞台から姿を消した。

一方の新庄は、彼らしく華々しい幕引きだった。3年間メジャーで活躍したのち日本に戻り、日本ハムに入団、そこでも大活躍した。そして2006年、シーズン開幕早々にその年限りでの引退表明。宣言通りリーグ優勝、そして日本一を成し遂げ、日本シリーズ最終戦でユニフォームを脱いだ。最後の打席は泣きながらのフルスイングで三振。引退後は表舞台からパッタリと姿を消し、バリ島に移住して趣味を楽しんだ。

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ヒーローとは幼少時代の象徴だ。大人になり、自分の限界を知り、社会の現実に揉まれ、大きな夢を語ることもなくなった後も、昔のヒーローの顔を見ると、あの頃の憧れや純粋なときめきが蘇ってくるものである。

僕のヒーローたちが表舞台から去った後も、彼らは心の中にあり続けた。タイガース時代の新庄の下敷きをアメリカに大事に持っていったし、留学先の寮では研究しながらXの曲をズドズドと爆音で聞いてた。

2008年、留学三年目の頃、僕は思いもよらなかったニュースに歓喜した。

X Japan再結成。しかも単なる再結成ではない。かつて果たせなかった世界進出の夢を実現するのだという。胸が熱くなった。涙が出た。(これを書いている今も思い出して泣いている。)そしてなんだか、安心した。Yoshikiが少しも老けてなかったからだ。もちろん容姿は昔のままじゃない。でも夢を素直に恐れずに語る彼の心は、少しも丸まってなんていなかった。

そしてYoshikiは有言実行した。ロックの聖地たるMadison Square GardenやWembley, Coachellaでのコンサートを成功させた。カッコよかった。昔よりももっとカッコよくなって帰ってきた。(ニューアルバム、首を長くして待っています!!!)

2013年9月。憧れていたNASA JPLに就職した4ヶ月後、ボイジャー1号が大きなニュースになった。太陽系の境界とされるヘリオポーズを超えたことが、正式にアナウンスされたのだ。感慨深かった。僕が追いかけ続けてきたボイジャー。彼女もまだ、夢を追い続けていたのだ。

そしてつい先日の2019年11月13日に、思いもしなかったニュースが飛び込んできた。47歳の新庄が、プロ復帰への挑戦を宣言したのだ!この日の朝、「起きて2秒後」に思いついたそうで、即日インスタの動画で宣言した。

「みんな、夢はあるかい?1%の可能性があれば、必ずできる!」

「みんなと一緒に、挑戦に向けてやっていきたいの・・・それを、俺もたのシンジョー!」

昔のままのキラキラした目の新庄が、熱くも楽しい言葉を熱弁していた。

夢、あるよ、ある、あります!!!NASAに入るだけが僕の夢じゃない!!!ここでビッグになるんだ!!歴史に残る仕事をするんだ!!!!

1%の可能性があれば、憧れの新庄さんと一緒に挑戦できるなら、僕にも絶対にできる!!!!

ボイジャーは42歳。Yoshikiは53歳。なんて頼もしいのだろう。僕の幼少からのヒーローが、揃いも揃って、年齢などものともせず夢を追い続けているなんて。なんて幸せなことだろう、憧れのヒーローたちと一緒に夢を追えるなんて。

小野雅裕、37歳。まだまだこれから。限界なんてない。夢を追う姿をミーちゃんに見せたい。僕も夢に向けた挑戦を、たのシンジョー!!!!

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Image credit: NASA/JPL-Caltech


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小野雅裕 | NASAジェット推進研究所・技術者・作家。

NASAジェット推進研究所で火星ローバーの自律化などの研究開発を行う。作家としても活動。宇宙探査の過去・現在・未来を壮大なスケールで描いた『宇宙に命はあるのか』は5万部のベストセラーに。2014年には自身の留学体験を綴った『宇宙を目指して海を渡る』を出版。

ロサンゼルス在住。阪神ファン。ミーちゃんのパパ。好物はたくあんだったが、塩分を控えるために現在節制中。

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