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ピンぼけ望遠鏡で宇宙の果てをのぞく1

~宇宙赤外線背景放射の話~

このメルマガの読者の皆さんは宇宙開発や宇宙航行などの技術的な話題が一番好きかなと思いつつも、やはり分をわきまえて天文学者である私が仕事として行なっている宇宙そのものの研究を紹介したいと思います。


「宇宙赤外線」?「背景放射」?

表題に出てきた「宇宙赤外線背景放射」と言うと漢字が9個も並んで何やらいかめしい感じがしますが、これはあとにも説明するように、宇宙の始まりの頃の光が赤外線として空のあらゆる方向から地球に降り注いでいるというものです。「放射」は「光」と同じような意味ですが、赤外線(波長1~300マイクロメートル)のように私たちの目には見えない光の仲間(電磁波)がやって来るさまを専門的には放射と呼ぶのです。では何が「背景」放射かというと、空を見上げた時に見えるさまざまな星は宇宙全体の大きさからするとわりと私たちの近くにあり、それらの向こう側(つまり背景)にある遠い宇宙からの放射は、何もないように見える空の真っ暗なところからやって来ているというわけです。

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図1: 宇宙赤外線背景放射


オルバースのパラドックス

え?でも、めちゃくちゃ視力が良い人なら遠方の暗い星や銀河も見えてしまうので、そんな人には空一面が星や銀河で埋め尽くされているように見えるはずでしょ?という疑問はもっともです。遠くまで延々と続く砂浜や一面に広がる花畑、、、このような風景を写真におさめたら、画面に見える砂粒や花の数は近くのものほど少なく遠いものほど多いことがわかります。また、写真から目のピントを外したり薄眼にしたりして画面の全体的な明るさだけを見るようにすれば、近いところと遠いところは同じような明るさに見えるはずです。 では、以上のたとえを銀河に置き換えたらどうなるでしょう。近い銀河はそれぞれ明るいけれど数が少なく、遠い銀河は暗いけれど数が多いので、どちらも上に書いたようなピンぼけ状態での明るさは同じように見えるでしょう。もし宇宙がどこまでも遠く果てしなく、銀河は大昔から現在まで同じように輝き続けているならば、空の明るさも無限に明るくなるでしょう。しかし現実に見える空では、ところどころに明るい星や銀河が輝き、それ以外の場所は真っ暗で何もないように見えます。これは「オルバースのパラドックス」と呼ばれる古くから知られた有名な逆説で、現実の宇宙は上に書いたような永久不変で無限に大きな宇宙ではないことを示しています。


膨張する宇宙

宇宙の研究が進んだ現在、オールバースのパラドックスはすでに解決されています。夜空が真っ暗に見える大きな理由は、宇宙にはビッグバンという大爆発からの「始まり」があることです。宇宙からの光が私たちのところまで届くには光の速さに応じた時間がかかるため、遠い宇宙を見ることは大昔の宇宙を見ていることになります。宇宙に始まりがあることは私たちが見ることのできる宇宙には限りがあるということです。

ただし見える宇宙に限りがあることで夜空が無限に明るくはないにしても、それは夜空がとても暗いことの説明にはなっていません。意外かもしれませんが、夜空が暗いことの大きな原因は宇宙の膨張です。宇宙はビッグバンで始まった時点では点と言って良いほどの小さな状態でしたが、現在の途方もないサイズにまで大きくなった(膨張した)ことがわかっています。膨張する宇宙では大昔の光は私たちに届くまでの間にエネルギーを失い暗くなってしまうのです。ちょっと苦しい説明になりますが、感覚的には膨張する気体がエネルギーを失って冷えることに似ています。結果的に遠い昔の宇宙からの光は夜空の明るさにはさほど影響しなくなるというわけです。


ハッブル=ルメートルの法則

さて、宇宙が膨張していることはどのようにしてわかったのでしょう?遠い銀河の中に含まれている気体が出す特有な色の光(スペクトル線という)の波長を調べると、その気体が本来出す波長よりも長くなっていることがわかります。天文学者たちはこのような方法を使って、空のどちらを向いているかによらず遠い銀河ほど波長の伸びが大きいことを発見しました。この法則は発見者らの名前をとり「ハッブル=ルメートルの法則」と呼ばれています。

ここでの光の波長の伸びは、猛スピードで遠ざかるレーシングカーのエンジン音の波長が伸びて音程が低く聞こえる「ドップラー効果」の光バージョンです。つまり、遠くの銀河ほど猛スピードで私たちから遠ざかっていることになります。空のどちら向きでも同じハッブル=ルメートルの法則が成り立つからには、宇宙全体が一様に膨張していると考えるのが自然であるというのです。

上では宇宙の膨張で光はエネルギーを失うと書きましたが、これには2重の意味があります。一つは光を「光子」という粒子の集まりと考えたときに光子の数が少なくなること、もう一つは一つひとつの光子が持つエネルギーが下がることです。宇宙の膨張でスペクトル線の波長が伸びるのは、一つひとつの光子のエネルギーが下がることに相当しています。

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図2: ハッブル=ルメートルの法則


遠い宇宙の観測の仕方

夜空が暗い件に話を戻しましょう。上では膨張する宇宙では遠い昔の宇宙からの光が夜空の明るさにさほど影響しないと書きましたが、本当に夜空が暗いかどうかは遠い宇宙の様子によります。私たちが知らない遠い過去には銀河たちがとんでもなく明るかったかもしれませんし、途方もない大爆発がおきて夜空を明るく照らしていたかもしれません。そもそも私たちが見る夜空は暗いのだから宇宙の過去にはそんな出来事はなかったというべきでしょ?というツッコミはもっともです。しかし、逆に開き直って言うなら、夜空の明るさを調べること(宇宙背景放射を観測すること)は宇宙の過去に特別な出来事がなかったかを調べる強力な方法なのです。

ここまで何度も夜空が暗いと書きましたが、それは目に見える波長の光(可視光)についてのことで、目に見えない波長の光では夜空が暗いとは限りません。膨張する宇宙では遠い宇宙からの光の波長が大きく伸びるのは前に書いた通りですが、仮に宇宙の始まりから2億年後、宇宙の大きさにすれば現在の約20分の1のころに大爆発をおこし紫外線や可視光を撒き散らしたとすると、それは現在、波長が20倍ほど伸びた赤外線として夜空を明るく染めているはずです。実際にこのような大爆発現象が宇宙で最初に生まれた星やブラックホールによって起こったのではないかと考える天文学者がたくさんいます。宇宙赤外線背景放射を観測することで宇宙の始まりの頃の爆発現象を調べることができるかもしれないのです。

宇宙赤外線背景放射の観測には別の側面もあります。ビッグバンでは光だけでなくニュートリノや宇宙の質量の大部分を占める暗黒物質(ダークマター)のようなまだ知られてない粒子もつくり出されたはずです。これらの粒子はごく稀に別の粒子に転換しその際に光を出すことがあり、これも宇宙背景放射となります。


そして宇宙赤外線背景放射の観測へ

天文学の世界で、以前に例えたようなとんでもなく視力の良い人に当たるのは、ハッブル宇宙望遠鏡や「すばる」などの大きな望遠鏡です。これらの望遠鏡は宇宙の果てに迫るような遠い銀河を一つひとつ分解して観測できるほどの視力(解像度)を持っており、夜空の暗いところでも遠くの銀河を大量に見つけることができます。しかし今のところ、宇宙の始まりの頃の天体は暗すぎて一つひとつ分解して観測することは困難です。また、「すばる」のような地上にある望遠鏡では地球大気の影響により一部の波長でしか赤外線の観測ができません。

そこで、私たちが進めてきたのがロケットや人工衛星を使って宇宙空間から宇宙赤外線背景放射を観測することです。天体を個別に観測するのではなく背景放射としてまとめて全体的な明るさを観測すれば宇宙の始まりの頃の光すら検出が可能になるのです。宇宙空間からの観測は地球大気の影響がないことや真空環境により赤外線の観測に必要な温度まで望遠鏡を冷やすことが比較的簡単にできるという素晴らしい点があります。

しかしその一方で、大きな赤外線の望遠鏡を宇宙空間へ持ってゆくのは簡単ではありません。2021年には6.5mもの大きな口径を持つ赤外線観測衛星ジェームスウェッブ宇宙望遠鏡がNASAにより打ち上げられますが、とてつもなく高い費用がかかっています。安上がりの小さな望遠鏡でも大きな成果を上げることはできないかと考えてみると、望遠鏡の口径は小さくてもそのぶん視野を広くとれば良い観測ができる宇宙赤外線背景放射の観測はうってつけです。オルバースのパラドックスの説明で薄眼を開けてもらったようないわばピンぼけ状態でも宇宙の始まりの頃の光を捉えられるのはとても魅力的です。

宇宙赤外線背景放射を観測する具体的な計画については、次回の記事で紹介したいと思います。

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松浦 周二(まつうら しゅうじ)
関西学院大学 理工学部 物理学科 教授
学位: 博士(理学) 名古屋大学大学院理学研究科(宇宙理学専攻)
職歴: 新技術事業団 研究員、カリフォルニア工科大学 研究員、JAXA宇宙科学研究所 助教 を経て、2015年より現職


主な研究分野:
赤外線天文学、観測的宇宙論、テラヘルツ技術の開発
・観測ロケットや人工衛星を用いた赤外線の宇宙背景放射を観測することで、初代星や原始ブラックホールおよび原始銀河を探索している。
・「あかり」衛星やロケット搭載機器の開発を自ら手がけ、宇宙背景放射の観測についてのパイオニア的な研究を進めてきた。
・「はやぶさ/はやぶさ2」の機器開発を担当するとともに、惑星探査機により宇宙背景放射観測を行なうIPST (InterPlanetary Space Telescope)計画を世界で初めて提案するなど、将来の宇宙探査計画を推進している。


主な著書:
 ・Terahertz Optoelectronics(共著、Springer)
 ・テラヘルツテクノロジー(分筆,NTS)、テラヘルツ技術総覧(分筆、NGT)
 ・宇宙天文大辞典(分筆,地人書館)、宇宙物理学ハンドブック(分筆、朝倉書店)


学術論文: 赤外線の宇宙背景放射に関する分野を中心に100編以上

ホームページ: http://sci-tech.ksc.kwansei.ac.jp/~matsuura/

趣味: コーヒー豆挽きと皿洗い。

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