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情報リテラシー論#2  かつてのインターネット、今のインターネット


私たちはインターネットに生き、インターネットに生かされている。このレポートに取り掛かった2019年10月2日のツイッターのトレンドは「#Twitterサービス終了」という冗談にしても恐ろしい文字列だった。目には見えないが確実に存在している「インターネットという概念」にどれだけ私たちはすがりついて生きているのだろうか。

そんな一大学生として、インターネットについて教えてくれる情報リテラシー論という授業への思いを綴ろうと思う。


授業に小型のロボットを携えたよこたん(教授の愛称である)は早速とある動画を流した。
そこには我々には馴染みすぎてもはや臓器と化した機械、スマートフォンを誇らしげに扱う大人たちが映っていた。

「Twitter?つぶやくときに意識しちゃうなぁ…」
「おもむろに取り出したのはiPadです」

今こんなことを言ったらタピオカ片手の女子高生に鼻で笑われるであろうナレーションが大真面目に夕方の地方ニュースで流れていて驚いた。
これがほんの数年前だというのだから驚きである。


生まれたてのインターネット

話によると、1995年、インターネットという言葉が流行語大賞に輝いた時代の「インターネット」の概念は、令和元年を生きる十代後半の私たちにとってのものとは全く異なるものだった。
1993年、世界に初めて公開されたウェブサイトとはこのようなものだ。

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衝撃である。衝撃というか配布された紙についていたこの画像をパッと見て、「何かわかりづらくまとめられた表?」と思った。UIデザインの偉大さを感じざるを得ない。
画像の読み込みにはアナログモデム(これまた馴染みのない物である)が56kbpsで頑張っても数分かかり、インターネットを使って電話をかけようものなら3分でしっかり10円かかっていた。とても日常生活に「あって助かる」ものとは思えない。

ちなみにウェブのURLの頭についているwww.は、この無機質な画像の上に記された「World Wide Web」の頭文字の略だそうだ。「世界に 幅広く 蜘蛛の巣のように」貼られたリンクとリンクを介してネットの大海を渡っていけた時代を受け継いで、今私たちも大きくなりすぎたネットの海を漂っている。



携帯電話の進化とインターネットのあゆみ

こちらをご覧いただきたい。

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(画像の著作権は横田秀珠氏に帰属します)

今や3Gでさえ使いづらい世だが、2012年までそれで世界が回っていたというのがにわかには信じがたい。かつての読み込みの速さの7800倍で今情報は私たちの手元に届く。


情報はなるべくして速さを得た。
2007年の中越沖地震や2011年の東日本大震災など、日本を襲った大規模な災害は簡単に人々から情報を奪ってしまった。異常事態に右も左もわからない心細さは耐え難いものである。


当時情報を得るには、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などのマスメディアしかなかった。「民衆への情報操作や洗脳するにはいい環境ですよね」的なことをさらりと言っていたよこたんが気になって仕方なかったが、その通りここから入ってくる情報はかなり限られていて、かつ災害時に絶たれやすいものでもあった。
そこで生まれたのが「LINE」などのサービスである。インターネットさえ繋がっていればいつでも無料で電話やメッセージを送る等の連絡をとることができる。
このあたりから少しずつ生活にインターネットがある様子が日常になっていく。



インターネットと生活

では普及したてのインターネットと私たちの生活の関係はどのようなものだったのだろうか。
こちらをご覧いただきたい。

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(画像の著作権は横田秀珠氏に帰属します)

家庭にインターネットが入り込んできたと言っても最初はまだ今ほどの距離感でなかった。
例えば2015年の生活ではグラフにもあるように、帰宅後午後7時〜9時まではTVを見、そこから「そろそろ接続料金が安くなるし、インターネットでも見ようかな」といった具合でブラウザを立ち上げる、というような生活だった。
まだ四大マスメディアの情報の方が人々にとっては身近であり、インターネットはあくまで付属のようなものだった。

そこからインターネットがだんだん常時接続しやすくなり、人々の情報への信頼はマスメディアからインターネットへすり替わっていった。



大きくなりすぎたインターネットと私たち

今や膨大な情報を集めることが可能なインターネットは、敵視されていたマスメディア側がもはやその注目度や情報量の有望さを取り込もうと必死である。
Twitterやfacebookなど、一般人がたくさんの情報を発信し続ける今、インターネットの抱える情報量はもはや誰にも捌ききれないほどに膨らんだ。

こちらのサイトでは世界のインターネットに関わる人口を見ることができる。
このサイトを元に2015年に横田氏が作成した表はこうだ。

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(画像の著作権は横田秀珠氏に帰属します)

2015年の数字の比ではないほど令和元年の現在、毎日毎日情報が増えていく。

よこたんが言うに、「江戸時代の人が一生かけて集めた情報量を私たちは1日で得ることができる」そうだ。


人間は江戸時代からさほど進化はしていないが、インターネットだけがどんどん凄まじい勢いで進化していってしまった。


インターネットの概念の変化とともに、「賢い人間」の概念は「頭の良い人」でなく、「インターネットを上手く扱える人」と変わってしまった。



またこのような話もある。
googleは2005年に「あと300年あればインターネットにあるすべての情報をインデックス化し、全て検索可能なものにしてやる!」と発言した。まだリンクとリンクを介してwebを渡り歩くことができる自体の話だ。
2008年にあと200年で達成する!と発言した2年後の2010年、googleは突然白旗をあげる。
上で述べたように、インターネットの人口が増え、プライベートな情報の投稿が盛んになっている現在を生きる私たちからすれば、ほんの9年前googleが述べている様なことは「無理だろ」と思えてしまう。


かつて人々はインターネットの上に立っているつもりだったが、今やその立ち位置は逆転しつつある。ひょっとするともう逆転しているかもしれない。


インターネットの変化とともに、人とのつながりの形も変化してきた。
学生時代の友人などは、卒業したらお別れだった過去から、今はすべての人間関係はインターネットを使うことでずっと続けることができるのだ。
かつて居場所を変えることで更新することができていた自分とそのしがらみは、インターネットを使う限りずっとつきまとうものになってしまった。



インターネットという大きな力は、その進化とともに私たちの生活や性質、過去、現在や未来まですべてに入り込み、全てを少しずつ蝕んでいる。
インターネットとの適切な距離感をもって、仲良く生きていきたいものである。

長々と書いてしまった。今後は文章も上手いこと進化していけたらいいと思う……。堅苦しくまとめてしまったが先生のノロケ話も含め面白い授業だった。
今後も楽しみである。
2019/10/5

横田秀珠氏のサイトへのリンク
https://yokotashurin.com/etc/internetlivestats.html

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