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インドのひとたちとわたくし。(72)-ウィーンから来たピアニスト

 
 以前、ご近所のリタにお茶に呼ばれたとき、彼女の娘のメハックがグラフィック・デザイナーの仕事をしながら劇団に所属しているという話を聞いた。「娘が出演するとき、いつでも劇場に連れていってあげるわよ」と相変わらずのだみ声でリタが誘ってくれたが、英語でもストレート・プレイは私にとっては理解が難しい。そのうちメハックがプロの俳優を目指してムンバイに行ってしまったので、この話はそれきりになってしまった。

 気温も低くなり、このところ少し雨も降って空気の状態が改善されたので、なにかおもしろいイベントがないかとDelhievents.comを検索してみる。「インディア・ハビタット・センター」で、インド音楽協会とオーストリア大使館が共催する無料のピアノ・コンサートがあるというので行ってみることにした。

 「インディア・ハビタット・センター」はデリー中心部にある複合型の大きな文化施設で、ギャラリーやオーディトリアム、カンファレンス、レストラン、ライブラリー、ラーニング・センター、宿泊施設などがある。広い吹き抜けの中庭や建物周囲に、ふんだんに水や緑が配置されていて、とても開放感のある空間だ。1993年にアメリカ人建築家のジョセフ・アレン・スタインが、都市の環境と調和、文化とひとびとの交流、教育促進などを利用目的に設計したそうである。
 ここでは、アート・ギャラリーでの展示以外にも、ワークショップや講演、映画上映などを頻繁にやっている。

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 コンサート会場の、250人くらい入るオーディトリアムが先着順だったので、開演時刻の7時より30分以上早めに行く。アート・ギャラリーをぶらぶらしてから10分前に会場に行くと、意外とすでにひとが集まっている。このコンサートの開始時間は、どうやら「インド時間」ではなく時計通りらしい。
 7時になり主催者が登壇して「今日は休憩なしでやります」と言っている。その後、ピアニスト本人が登場してからも何人も、あとからひとが入ってくるが、あまり気にすることもない。中盤までには2階席も埋まっていた。ジーンズとバックパック姿の若いひと、子どもを連れたカップル、引退した風情の老夫婦など、オーストリア大使館関係者以外は地元のみなさんという感じだ。みんな服装もカジュアルである。
 小さな会場で、緩やかなすり鉢状の客席と低めのステージの距離が近い。なにより驚いたのは、オーストリア政府が招聘したピアニスト、ひょろっとした背の高い青年が、超絶技巧の演奏者だったことだ。

 最初のモーツァルトの小品のあたりはまだ、うろうろと席を探すひと、客席で携帯を鳴らしてしまうひと、隣のひととぺちゃくちゃ喋るひとなどがいて落ち着かなかったのだが、ピアニスト本人があらすじを説明をしてからストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』を弾き出すと、あっというまに会場がしんとなって引き込まれ、私の隣の男性などは文字通り、身を乗り出して聴き入っていた。わかるわ、その気持ち。その後はベートーヴェンの『エロイカ』。ピアニストご本人曰く、「みなさんは、今日はラッキーですよ。ピアノ演奏者にとって、とてもチャレンジングな大作ばかり聴くことができて」。確かにそうだった。10本の指でオーケストラの仕事をするのだからね。

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 最後の曲、リスト『ノルマの回想』が終わった瞬間、はじかれたように全員が立ち上がってスタンディング・オベーションになった。「瞬発力」がすごいな、みんな。ノリのよいインドのひとに合わせた選曲だったのかもしれない。スピード感があって、ドラマチックな演奏ぶりがとてもよかった。演奏家との間の垣根が低いのもすごくいい雰囲気だ。
 音楽専用ではないから、音響やピアノの調律など細かいことはあるものの、これで「無料」とはありがたい。1時間ちょっとという時間も、帰ってからゆっくり夕食を取るのにちょうどよかった。
 次は2週間後、今度はイタリア大使館の主催でイタリアからピアニストが来るらしい。もちろん無料である。楽しみだ。

‐ ウィーンのピアニスト、フローリアン・フェルメールのサイト

(Photos : India Habitat Centre, Delhi, 2019 )

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