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インドのひとたちとわたくし。(116)-お金と了見

 借りたお金を返さないひとというのは、インドにだって日本にだっているわけで。

 一時的な仕事で契約したカンパニー・セクレタリーのキランが、前払い金を約束したとおりに払い戻してくれない。もう半年も経っている。最初のうちはやんわりと電話やメールでそのことに触れてみた。そのたびに「今度払う」と言いながら、そのうち携帯にも出なくなってしまった。オフィスの固定電話にかけても秘書が「今、不在だ」と言い、折り返しを頼んでもかけてこない。さすがに不誠実ではないかと、共通の知り合いでもある弁護士のマルハトラに訴えた。もともとこのひとの紹介だったから、普通は応じない前払い金を渡したのだった。

 彼がキランに連絡してこちらに伝えてきたところによると、前払い金と同額に相当する仕事を、うちのもうひとりのダイレクターであるヴィッキーから別途、頼まれたので、その分の料金で前払いを相殺したと言っているらしい。そんな追加の仕事があったなんて聞いていないし、勝手に相殺して連絡もよこさないなんておかしいではないの。文句を言いながら、思わず「あなたの紹介だから前払い金を出したのに」と述べたら、今度はマルハトラが「そんな言い方ないだろう」と怒り出した。いや、別にあなたのせいにしてるわけじゃないんだけど。ややこしいひとたちだなあ、もう。

 ヴィッキーを問いただすと、確かにキランには自分のダイレクター資格の再登録手続きのことで個人的に仕事を頼んだとのこと。その仕事が完了して請求書が来たら、ちゃんと払うつもりだと言う。ともかくそれは彼個人の仕事の依頼で、会社の依頼ではない。
 それをキランに伝えると、電話の向こうで「私から見たら、あなたもあなたの会社も、ヴィッキーも全部同じクライアントなのだ」と興奮してまくし立ててきた。

 「カンパニー・セクレタリー」とは、会社法に関わる企業法務を担当するプロフェッショナルである。専門性が高く、難関資格で給料も高い。コーポレート・ガバナンスの指南役と言ってよいひとびとなのになあ、と嘆息。鷹揚で肝のすわった頼もしい女性だと思っていたんだけれど。
 彼女はその後、ヴィッキーが支払いをしてくれたら、会社にも前払い金を払い戻すと言っているらしい。ヴィッキーはヴィッキーで、頼んだ仕事が完了していないからキランにはまだ払うつもりはない、と言う。もう、こうやって物事がスタッキングするのだよ、いつも。

 間に入ったマルハトラが、さすがにキランの言うことが無理筋なので、「僕が立て替えてそちらに払う」と申し出てくれた。が、そこから程なくしてロックダウンに入ってしまったので、この件はそのままになってしまっている。

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 ずいぶん前だが、近しくもなんともない知り合いが、あちこちから金を借りまくっては返さないという噂を聞いた。経営する会社のオフィス家賃も何年も滞納したままなので、遂に怒った家主が一方的にオフィスを封鎖してしまったそうだ。
 ある日、突然、大勢のいかつい男たちがやってきて中にいたひとびとを強制的に外に出し、家具もすべて運び出して入り口を板で封鎖、それからは監視役が居座って誰も中に入れない。怒り心頭の家主は、この措置を講じるのに、騒ぎに目をつぶるよう相当額の金を警察に払ったと、事情通のひとが教えてくれた。金を取り返すのにさらに金がかかるという話だった。
 払うべき金を払わない、借りたお金を返さないのには、当人には当人なりの屁理屈があるわけで、返済を迫るとそれはもう次から次へとその理由を興奮して述べたてる。まったく関係のない話まで持ち出して最後は逆ギレして電話を切る、みたいなパターンがあるようだ。それだけの厚顔さがあるから、借金を返さずに暮らしていけるのだろうな、と妙なところに感心する。このタイプの人物に「ひととしてどうなのか」などと言ったところで通用しない。

 そうしたら今回は銀行だ。

 ロックダウンに入って間もなく、政府が銀行に対してローン利息の徴収を当面のあいだ見合わせるよう『モラトリアム』の通知を出した。
 うちの会社も銀行から融資を受けていて、その利息を口座から引き落としされているが、これも『モラトリアム』の対象になった。やれ助かったと思っていたところ最近、明細をよく見たら、3月分の利息はいったん引き落とされたあと翌月に銀行から返金されているのに、その後、4、5、6月と3カ月にわたって利息が引き落とされたままになっている。
 おかしいんじゃないのと世話になっている銀行支店長のサンジャにかけ合う。このひとは、当方がいろんな相談事をするたびに行内のあちこちに掛け合って少しでも早く事業資金が確保できるよう骨を折ってくれたので、普段はとても頼りにしているのだが、今回は「銀行のシステム更新のせいで払い戻しが滞っている」と歯切れが悪い。たぶんクレームが押し寄せているのだ。しまいには「ムンバイのお客様センターに電話して。私ではどうにもならない」と根をあげてきた。
 この銀行はインド民間の最大手で、ムンバイに本店と審査部があり、そこに話を通さないとなにも進まないのである。しかしコールセンターに言ったところで記録に残るだけで、話は簡単には解決しないだろうと普通に思う。
 ヴィッキーが、マーカーで線を引いた明細を片手に直談判に行っている。本来6か月とされた『モラトリアム』の間、それなりの金額が引き落とされるというのは、資金繰りの厳しいこの時期には大きな痛手なのである。がんばれヴィッキー。

 こういう話に晒されているからか、いやそもそも会社のキャッシュ・フローがまだまだ潤沢とは言えないからではあるが、こちらも以前より、はるかに厚かましくなってきているのは確かではある。これを逞しいと言っていいのかどうかはちょっとわからない。

 おもしろいことに、いつまでも借金を返さないひとに対するこちらのひとのアドバイスは共通している。「貸した金は諦めろ。相手と縁を切れ。どうせ返って来ないのだから、もっと前向きなことに時間と労力を使え」。誰もがなにかしらお金での苦労をしているが、日本円で1,000万を越えるようなレベルの話でも、弁護士からコンサルタントまで、みんな真顔で言うのだった。私の金銭感覚が彼らと違ってセコイんだろうか。
 ただ、裁判に持ち込んでもやたらに時間がかかる国であるうえ、その費用もバカにならない。一般の労働者の給与が低いのに比べて、弁護士や会計士などの専門職のフィーはたいへんに高いから、多くのひとは裁判を避けるようだ。うちの隣家のひとでさえ、不動産事業に投資した3クロ―(=3,000万ルピー:1ルピー=1.6円)が、こちらから見たらデベロッパーの詐欺みたいな理屈で、ただ同然の価格で物件の売戻しを迫られているのを、「もう関わりたくない」と、言い値で妥協しようとしている。

 個人事業を営むひとが周囲に多いので、お金に執着する気持ちが強いのは理解できる。貸主と少々、揉めることも辞さない一方で、被害者としてトラブルに巻き込まれると、諦めるのが割と早いような気がする。お金を借りたほうが強気で、いつまでも嫌な思いをさせられることもあるからだろう。

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 デリーはこの一週間の間に、コロナ陽性患者の発生数が減ってきている。検査と病床の拡張徹底がようやっと実を結んできたのかもしれない。こないだまでデリー政府をごうごうと非難していた中央政府までもが、「デリーはよくやっている」と手のひらをかえしたように言っている。住んでいる身としては少しほっとする。が、その一方で、初期に封じ込めに成功したと賞賛されたケララ州で第二波が始まったと報道されているし、ムンバイやバンガロールでも患者はまだ増え続けている。コロナのことは、なにをもって「成功だ」「失敗した」と言うのか、時間軸の取り方が難しい。隣のUP州は、患者数の急激な増加に遭って急遽、金曜夜から月曜早朝まで緊急避難的に州境を閉鎖してロックダウンを宣言した。明日の月曜日は州境を越えてオフィスにたどり着けるんだろうか不安になる。
 インドに限らず、パンデミックは一度きりではないと警告する専門家もいる。もうこの事態にあわせて生活の設計をしていかなくてはならない。まずは銀行にちゃんと利息分を返してもらわないと。

デリーの患者数はフラットカーブ化( The Tribune, 10th July, 2020 )

PMがデリーの取り組みを賞賛( India Today, 11th July, 2020 )

ケララ州は第二波が到来( Business Standard, 25th June, 2020 )

( Photos : In Delhi, 2020 )

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