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夏の暑さに溶かされ続けてもけっして消えない私について

 一年間でもっとも投げやりな季節がやってきた。

 誰にとって? そんなの私に決まっている。オシャレしたって汗まみれだし、どこにいたって暑さから逃れられない。なのに憂鬱な気持ちすら、どうでもよくなってしまう。昔はもっと涼しかったって聞いたことがある。だけど平成生まれの私が知っているのは、毎年更新され続ける暑い夏だけだ。打ち水程度じゃ、少しも涼しくならない。


夏休みになったら私は、外になんて出ないんだ。ぜったい。


なんて思うのは毎年のことで。だけど私は投げやりに、何もかもがどうでもいいからってどろどろに溶けながら一か月過ごした。それもまた、毎年のことだ。
 この一か月を過ごしてみて、今までと何も変わっていないことに軽い落胆を覚える。というのも、今年は大学生になって初めての夏だったから。惰性でも優等生をやってきたおかげで、大きな壁にぶつかることもなく指定校推薦を取れたのは幸いだった。まぁ、取れなくてもべつに構わなかったのだけど。どっちでもよかったからこそ、去年の夏も私はいつもと同じように過ごしていたのだから。


私の、いつもの夏の過ごし方。

朝は暑くて6時に目が覚める。そのままなんとなく着替えて、コンタクトをつけて、化粧をする。そして9時前には出かけて、夜になんとなく帰ってくる。それを繰り返す。日中は図書館に行ったり、なんとなく電車に乗ってみたり、海でナンパされてそのまま酒を煽ってみたり、なんとなく男と寝たりする。それをひと夏繰り返す。この過ごし方は、私がひとりで遠出するようになった13の頃からほとんど変わらない。
夏の暑さで溶け続けた私は、秋になる頃には消えてなくなってしまうんじゃないだろうか。じっさい、まだこうやって動いていることが不思議でしかたない。だけど私は消えることも減ることもなく、満ちることも増えることも特にないまま秋を迎える。涼しくなってくれば私は自然とまとまって、優等生の私に戻っている。まるで夏のことなんて、なかったみたいに。

夏以外の私は、きっと優等生以外の何者にも見えない。そこそこの成績とソツのなさ、ほどほどの人間関係。薄い化粧とシンプルで主張のない服装に、細いフレームのメガネ。それは狙っているわけではなくて、ただそうなってしまうだけのこと。夏の私だって、何も狙いなんてないのだ。羽目を外そうとか、無茶をやりたいみたいな青臭い感情も。だって夏の私がいつもと違って見えるのは、せいぜいメガネがコンタクトに変わっていることくらい。これだって、メガネで日焼けの後を残したくないからで、ファッション的な意味合いはない。規則正しい生活も、服装も変わらない。だから、家族の誰も私の夏を気にしていない。今日もいつものように家を出た。暑くなる前に図書館に行って、飽きるまで過ごす。昨日はそれから海に行った気がする。海を見ながらぼーっとしていたら、そこらにいた誰かたちがビールをおごってくれたっけ。毎日が似すぎていて見分けがつかない。


通り道にあるコンビニに寄ったら、同世代らしき女の子グループが飲み物を買い込んでいた。


「だから~ぜったい、こっちの服の方がかわいいって! 今日はネイルもいい感じだし」
「まじ? この夏、いけるかな」


 くすくすと笑いあう彼女たち。流行を取り入れて着こなして、つま先まで抜かりなく作っている。キラキラと反射する指先はとてもきれい。無造作につかまれたペットボトルが、途端に彼女たちの世界の仲間入りをする。期待と、希望と、欲望と。そういうものに満たされた世界へ。
 だけど私は知っている。ただモテたい、男に女と見られたいだけなら流行りの服や化粧で武装する必要なんてないことを。最新の雑誌もネットの情報もいらない。それはただ、商売になるから存在しているだけのものなのだ。特別な美人である必要もないし、特別な頭の良さもいらない。重要なのは特別な存在であることじゃなくて、「特別な自分になれる相手」であるかだから。要は、相手が自分といるときに「俺ってすげー」とか思えばいいってわけで。誰もが特別になりたい、主役になりたいと思っているから、それを感じれば勝手に付いてくる。
 気温が35度にもなってくると、建前なんてみんなどろどろに溶けてしまう。保っていられない。むき出しになって主張する。私がこの季節、声をかけられるのはそのせいだと思う。私には主張も何もないから。存在があやふやすぎて、逆にイレギュラー。きっとそうなんじゃないかと分析している。


 本を読むのにも疲れて、少しだけ眠る。隣の人の咳払いで目が覚めた。閲覧席で寝るとは何事か。と、思われているのだろう。まったくもって、その通り。
 読みかけの本を棚に戻して、私は街に出る。ふらふらとしばらく歩いて、声をかけてきた人と夕飯を食べた。そのまま知らないバンドのライブに誘われて、ラムコークを延々と煽る。それも飽きたところで私はライブハウスを後にした。一応、帰り際に断りを入れようと思ったが、誰といっしょに来たのかわからなかったので、やめた。家に着いたのは21時。べたつく体を洗い流して、眠った。

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「あーどうしよ。まじで彼女になりたいんですけどー!」
 

 今日も図書館に行く前にコンビニに立ち寄った。同世代と思われる女の子が飲み物を買い込んでいる。どうやら、通話で恋愛相談のようなものをしているらしい。


「うんうん。だよね? こないだいい感じだったよね?! 二人で出かけよって言ってくれたし。え? ふふふ、言われたの!」


 いい感じ。って、いいな。
 単純にそう思う。彼女は足のつま先も指先もキラキラと磨き上げられていた。あの、やたらと大きなカバンには一体何が入っているのだろう。彼女には必要なものがたくさんあるのだろうな。私は自分の小さなカバンに手を伸ばす。財布。リップクリーム。スマホ。家のカギ。そのくらいか。私に必要なものは、そのくらい。


「いまからそっち行って詳しく話すからね! 作戦会議しよ!
 え? ええー、無理無理! ってかタツくんまだ寝てるでしょ。LINEして返事来るまでの時間、堪えらんないよー。じゃあさ、ミコちゃんち行ってからするからさ。うんうん! だったら耐えられそう。そうしよ! じゃーあとで」


 あわただしく彼女は会計を済ませた。これから彼女は、友人の家でLINEを意中の相手に送り、その返事が来るのを友人と話しながら待つのだろう。いい感じだ。うらやましい、でもあこがれる、でもなく。とてもいい感じだと思う。


 彼女は恋をしている。
 はずんだ声、宝石みたいな指先。つま先。あさましくてまぶしくて、きっと楽しい。「タツくん」という言葉がとてもいいものに思える。タツくん。それはきっと、とてもいいものなのだろう。


 誰かと夏を過ごしたら、私も変わるのだろうか。投げやりでない夏が過ごせるのだろうか。
 愚問。
 そんなことはずっと前に試している。誰か特定の男と過ごすことも、誰か特定の女の子と過ごすことも。どちらにしても、私は変わらなかった。いつもの夏だった。
 正しくは、私だけがいつも通りの夏を過ごしていた。燃えるのもすり減るのも、私の外にある世界の話。私はそれをぼんやりと、溶けた頭で認識する。どうして、主張も欲望もない私だけが。消えてもよさそうな私だけがいつも変わらずに残ってしまうのだろう。


 なんとなく、図書館に行くのをやめて映画館に行くことにした。最新の洋画と上映期間が終わる直前のアニメーション映画を適当に観た。そこで声をかけてきた大学生グループとまだ日が高いうちから飲みに行き、その中のひとりと寝た。連絡先を交換したいと言われたが「また会えたらね」と適当に答えて、帰宅。22時。冷房と汗で冷えた体を洗い流して、眠った。


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 この季節が来ると、最初に語彙が死ぬ。
 暑い。あつい。あつい。それ以外の言葉はなくなってしまう。
 それほど寝坊したわけでもないのに、午前中から日差しが私の限界値だ。刺さるように。容赦なく私を通過しようとする。邪魔だと言わんばかりに。よし、今日は日中、家から出ない。夏と戦う気力なんてないし、夏には戦う相手もいない。最初から白旗全面降伏なのだ。
 夕方になって、アイスが食べたくなった。日がしっかり傾いているのを確かめてから外に出る。暑い。一日家の中で冷房を浴び続けていた体には堪える。じわじわと体の表面に浮かび上がってくる汗、しびれたように温度を上げていく私の末端。つま先が、そこにあることを主張する。冷たくべたつく体は、外の熱気の中でひどく居心地が悪い。


 雨でも降ってくれれば。

 雨でも降ってくれれば、きっと温度はいっきに下がる。熱せられたコンクリートの温度を下げるのだ。太陽が沈んだ今ならば、それでいくらか涼しくなれるだろう。


 いつものコンビニに入ると、温まった私の体はまた一気に冷えた。まだ冷たさの残っていた足先は、そこにあるべたつきだけ感じられて、気持ちが悪い。ともあれ、アイスを買おう。アイスのコーナーを行ったり来たりして品定めをする。


「タツくん、ビールってどれがおいしいの~?」
「そうだなぁ。俺はサッポロが好きかな。それかこっち。よなよなエールとか、いいよね」
「よなよなエール? 変わった名前~。飲んだことない!」
「おいしいよ。買おっか」


 うしろから見ても仲睦まじげな男女が買い物をしていた。かごにはすでにおつまみや、お菓子が放り込まれている。タツくんと呼ばれる彼は、それからさらにチューハイを数本かごに入れた。


「おはし、ふたつくださーい」


 ご機嫌な彼女。ずっしりと重そうな袋は彼が持った。彼女は左手にお菓子の入った袋を、右手は彼と手をつなぐ。
 恋をしていた彼女は、いまではタツくんとふたりで恋をしている。
 

 私はアイスをふたつ買って、ひとつは食べながら帰ることにした。しゃりしゃりのソーダ氷が溶けだして、半分は路の上に落ちて砂糖水になった。棒付アイスは失敗だったと、失敗してから気づく。この分だともうひとつのカップアイスも溶けてしまっているかもしれない。私はのろのろと走り出した。汗がだらだらとつたってくる。何度もぬぐって、帰宅してすぐにカップアイスを冷凍庫に入れた。どうせ溶けているし、今は食べたい気分じゃない。
 私は風呂掃除をして、すぐに湯を沸かした。まだ少しだけ、外が明るい。ゆっくりと風呂に入ってから、そうめんを茹でる。氷をたっぷり入れた麺つゆを用意してひとりの夕飯をとる。なぜだか、それだけで今日が終わった気になってしまった。YouTubeで音楽を聴いて、そのまま眠った。

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 本屋で買った文庫本を持って、スタバで涼む。なんちゃらフラペチーノの華やかさに惹かれて入店したが、注文したのはけっきょくカフェラテ。ゆっくりしたい時に冷たい飲み物は選べない。時間が経てば経つほど薄まっていく、その変化に耐えられないから。
 ふかふかのソファに座って、時々私は目を閉じる。目を閉じるとこの空間はとても、あわただしい。音楽に隠れて響く、キーボードをたたく音、ひとの話す声。この空間でリラックスできるのは視覚的効果のたまものだ。目を閉じてしまえば、流れるような軽やかさを持った機能的な場所だとすぐにわかる。
 避暑を求めて集まってきた客は例外なくなんちゃらフラペチーノを注文する。そして薄まってしまう前に、一番おいしい状態のままで飲みきる。彼らはおしゃべりを楽しんでいたとしても関係ない。すぐさま飲みきって、去っていく。けっして長くは留まらない。きっと彼らは、薄まった飲み物のまずさなんて知らないのだろう。


 それとも、逆かもしれない。

 知っているから、留まらないのかもしれない。良いところだけをつまんでいくように。一時一時を謳歌しているのかもしれない。それはとても軽やかに、流れるように。すべてを手に入れていくことだって、できるのかもしれない。

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 お盆を過ぎると急に日差しが和らぐ。それでもまだまだ、夏は終わらない。
 空気はまだべたつくし、冷房のない生活なんて無理。なのに、夏の疲れがたまってきて、私は温かい飲み物を探し始める。
 いつものコンビニには、まだ温かい飲み物は置かれていない。残念。だけど、予想通りだ。雑誌コーナーから見える空は、曇り。雨が降りそうだ。家を出た時には晴れていたと思うのに。とにかく流れが速くて、今日は晴れなのか雨なのか、天気がいいのか悪いのか。季節の変わり目が来ると一言では言い表せない。
私はミネラルウォーターを探す。雨が降り出す前にここを出て、どこかに行ってしまいたい。


「え、うそ。タツくんと別れちゃったの?」


ずらりと並んだ飲み物コーナーの前で、女の子たちが話している。


「うん」
「えー! うまくいってたんじゃないの?」
「うーん。まぁ、そうなんだけどね。楽しかったけど、なんていうかね。微妙なところもあって」
「付き合って、一か月経ってないよね?」
「てか、付き合ってたのかな?って思う。いい感じだったけど、告白とかそういうのなかったし」


 そっと横目で彼女たちを盗み見た。キラキラの指先はためらいがちに、アイスティーのペットボトルを選び取る。


「今はまだ、ちょっとダメージあるけど。いいんだ。なんか楽しかったし」


 そういうものなのだろうか。だってあんなにキラキラしていたのに。楽しそうだったのに。それはあっさりと終わってしまうものなのだろうか。


「いいんだよ。だって、夏はもう終わりだから」


 誰かがいることも、誰かを追いかけることも。そういう過ごし方を私は知らない。
 たまたま知り合った人とはその時限りで、続けてみても私は続かない。


 夏は、まぶしくて目まぐるしい。


 強烈に照り付けてきて、流れが速くて。出会ってぶつかって変化する。刺すような色にあふれていて、私は思考をやめる。ついていけないんだ。暑さに溶けて、たゆたってでもいないと。くるしくなって、息もできない。
 

 会計を済ませ、コンビニを出ていく彼女たちの後姿を見送る。途端に、いらだちが込み上げてくる。


 ずるい。みんな、ずるい。

 何かをして、何かになって、それを脱ぎ捨てて次の季節に行ってしまう。みんな、燃えるだけ燃えて、さっさと変わっていく。消費してすり減って、それなのに時が来ればちゃんと満たされて。
 こんなことは言いがかりだってわかっている。だけど、ひどくずるいように思う。私はただ、夏の暑さに溶かされ続けたまま、溶けていくだけで何も燃えることがなかった。燃やすことができなかった。芯の入っていないロウソクみたい。炙られ続けて、ただどろどろと溶けているだけの。燃やしてすり減ることの出来なかった私は、夏の暑さに溶かされ続けてもけっして消えない。何も変わることなく、夏を終える。

 だから夏は、嫌い。
 夏の終わりはいちばん嫌い。

 いつだかに買った、溶けたアイスカップ。まずいから捨てた。
 誰かと寝るのは簡単だけど、眠ることは自分のベッドじゃないとできない。
 私は夏を整理する。何も変わることのなかった、何もなかった夏を。


 コンビニを出ると、遠くで雷光が見えた。じきに雨が降るだろう。降ればきっと、涼しい。激しく激しく降って、何もなかったことになればいいのに。夏なんてあったっけ? って。

 雨上がりの虹も星空もいらない。
 ただ、無為な私が息さえできれば、いい。


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