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神の声が聴こえない人々

11月10日、平井ナナエ氏の「宇宙経営~12のメッセージ~」出版記念講演会を拝聴した。

3部構成になっており、第1部は平井ナナエ氏の講演、第2部は、平井ナナエ氏と天描画家の大城清太氏とのクロストーク、第3部は、さらに宇宙人小学生として話題のそうた君を交えた3人によるクロストークであった。

さて、平井ナナエ氏の提唱する「宇宙経営」は、私が今、コツコツと取り組んでいる「倫理経営」に通じるものがあり、その考え方と実践のコツが集大成された内容である。さっそく実践に取り組んでみたいと思う。

さて、大城清太さんの話で、気づかされた事があった。

清太さんのおばあさんは、沖縄でいう「神んちゅ」とされる方。神の声を聴き、拝み、迷える人々に生きていく指針を与える役割の方だったらしい。

清太さんは子供心に、おばあさんのやってる事が理解できはじめ、特別なすごい事だと感じはじめたという。

それを察したおばあさんは、いいかい、神の声が聴こえるというのは、単なるそういった役割だから、えらいとかえらくないとか関係ないんだよ、と。

そして、神の声が聴こえなくても、そういった存在に敬意を払い、一生懸命に自分の役割を生き抜いている人のほうがえらいんだよ、と、説いたという。

ああ、私が聞きたかったのはこれなんだなと、思ったのだ。

神んちゅ、天描、バシャール、宇宙人。目に見えない、自分では感知することのできない話を追いかけてしまう事に対する答えであった。

倫理経営を提唱する倫理法人会の教えは、いたってシンプルである。

朝目覚めたらすぐに起きましょう。両親を敬いましょう。夫婦仲良くしましょう。約束を守りましょう。このようなシンプルな17箇条があるのみだ。
そして、このいたってシンプルな事を実践するのがいかに難しいのか、である。

自分の生まれが何星であろうが、宇宙からのメッセージをキャッチできようができまいが、そのようなものを追いかけて、日々の暮らしがおざなりになってしまうのは本末転倒である。

神の声など聴こえなくても、そのような存在はいるのだろうな、くらいで、すべての出来事に感謝し、自然を畏敬し、日々を丁寧に生きる。

そして、出会った偶然に感謝し、その偶然を感じ取る。そして、行動に移す。思って、感じて、動く。この繰り返しでいいのだ。
これを「思感動」というらしい。

いい学びを得たなと感じると同時に、昨年からの約1年間の学びの時期が終了したなと感じた。いわば、私にとっての卒業式のような気分になったのだった。

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