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やはり「嫌われる勇気」が必要なのです。

ここにきて、また私の中でアドラー心理学の重要性が見直されている。

とにかく様々なきっかけで自己否定に陥りがちな私にとって、アドラー心理学的な物事の捉え方を意識することはやはり重要だと思っているのだ。

アドラー心理学に関するベストセラーと言えば「嫌われる勇気」が有名だ。

このタイトルは確かに言い得て妙だと思う。アドラー心理学の根本思想をストレートに言い表した言葉のように感じる。

自己否定をやめるには、そんな否定しがちな自分をも受け入れることから始める必要がある。

私にとっては、他者を受容すること、他者に寛容であることはそんなに難しいことではないのだが、一方で自己を受容することはすごく難しいことなのだ。

この「自己受容」こそが、「嫌われる勇気」という言葉に密接に結びついている。

自分自身が考えていること、言いたいこと、やりたいことに正直になって、表明したいことを表明すること。取り繕わない、ありのままの自分で人前に立つということ。うまくやろうとしてしまう自分とうまく付き合いながら生きること。

私がなぜそういうことをせずに(できずに)生きてきたかと言えば、良く言えばそれは「他者を傷つけたくなかった」からだ。自分が正直なことを言って他者を傷つけてしまうのが怖かったり、お互いが主張してぶつかり合うことそのものが怖かったりするからだ。

確かに、人生のある局面ではそういうスタンスも必要になる場合がある。多くの場合、大人の世界では真実が話されることの方が少ない。人間どうしはお互いに微妙な嘘をつき合いながら人間関係を維持しているのだ。

だから、本当に重要なのは「言えるけど言わない」というスタンスを獲得することなのかもしれない。

単に恐怖から言いたいことが言えないのは望ましいことではない。主張すべきことを、主張すべきタイミングではきちんと主張することができる。

しかし、いつでも不用意にその力を使うわけではなく、良好な人間関係を維持するために本当のことを言わないこともある。もっと年齢を重ねていけば、おそらくそういう思慮深さのようなものが必要になるだろう。

とはいえ、やはりその根本には「嫌われる勇気」があるはずだ。(自分にとって)本当のことを主張して、嫌がられたり嫌われることがあったり、批判されたりしたとしても、それを気にしない胆力を持つことが重要だ。

その上で、何を言うかを選択できる状態にあることが理想なのだろう。

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