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意味がなくても本気でやった方がいいのです。

今年も地域の子どもたちを連れて行く夏のキャンプが近づいてきた。

毎年4月から準備を重ねているが、なんだかんだいつもあっという間に当日を迎えて、あっという間に終わっていく気がする。

どんなイベントごとも、たとえ準備に長い時間をかけたとしても、その期間に比べればイベントはその当日のたった一瞬だけだ。

そのたった一瞬に対して、どれだけ長い時間をかけられるか。
どれだけ頭を使えるか。
どれだけ本気になれるか。

何かのイベントを企画して取り組むときには、常にこの問題がついて回る。

長い期間準備していると、ふと「あれ?このイベントってやる意味あるんだっけ?」と思うタイミングがくるときがある。

イベントの種類によってその意味するところは当然変わり得るが、よくよく考えれば特に意味のないイベントなど、この世界にはたくさんあるだろう。

一番わかりやすいのは地域の夏祭りだ。

こうした夏祭りに「意味がない」という言い方をすると嫌がる人もいそうだし、実際そこに参加している人々が楽しくなれるという意味があるだろうと反論する人たちもいそうだ。

それを意味だと捉えれば確かにそうだが、では、人々が楽しくなるためであれば、「夏祭り」である必要がどこにあるのだろうか?別に夏祭りではなくても、音楽ライブであったり、スポーツ大会のようなものだったり、そういうものでも良いのではないか。

あえて「夏祭り」のような形で開催する「意味」はどこにあるのだろうか。

私なりの答えは、「そんなものはない」というものだ。人間というのは、ただ何かよくわからない物事に向かって、集団で取り組んでいくことが好きな、いやむしろ「そうせざるを得ない」生物なのだろうと思う。

人間という生物が生きている意味もなければ、生きている間に何をどのようにやるかも決まっているものではない。

でもだからこそ、本気でやることも大事なのではないかと思うのだ。

本当に自分自身が主体的に関わりたい、面白くしたい、と思うのならば、本当に素晴らしい時間と空間をつくり出したいならば、何かの感動を生み出したいならば、たとえそこに意味がなかったとしても、本気でやったほうがいいのだ。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。