見出し画像

「大掃除」ならぬ「大片づけ」が今から楽しみなのです。

自分がついやってしまう物事の1つに、「整理整頓」がある。
散らばっているものを見ると、それを今すぐキレイに並べたくなる。

これは有形物についても、無形物についてもそうである。

例えば、印刷物が散乱した机の上。
本の高さが揃っていない本棚。
様々なファイルが散らばったデスクトップ画面。

さらに、自分が無意識にやっていたことを人から指摘されて気づいて恥ずかしかったのは、会議室で会議をするときも、レストランでの食事のときも、自分のスマホ、時計、定期入れ、ペンケースなどを机上に並べて自分のテリトリーの端に並べて置いている、ということだった。

これにはさすがに自分でも引いてしまった。笑
しかも、言われるまでは全くの無意識だったというのだから恐ろしい。

そういう無意識のクセが、真にその人間の性質を表しているのではないかと思えてならない。

しかし不思議なことに、そうやって整然と並んだものを見たり、自分でつくり出したときに、言いようのない安心感や快感のようなものを感じる自分がいることは否定できない。

例えば、私は過去にお出かけして撮った写真やそのときの情報をデータ化してフォルダにまとめて整理しているのだが、そのフォルダ名は必ず日付の8桁番号から始まって、アンダーバーをつけた後に、そのお出かけやイベントの名前を書いておく、というルールを設けている。

それ以外にも、仕事の資料もプライベートの情報も何もかも、それを入手した日の日付を書いてからその資料の名前を付けている。
例⇒2022年8月1日の情報であれば、「20220801_〇◇△×」

これについて、私は「きっと皆もやるものだ、だって、その方が後からそれがどこにあるか探りやすいし、勝手に時系列順に並ぶから、どれが最新版だか迷うこともないよねー^^」と安易に考えていたのだが、どうやらそのように丁寧にデータを整理することは当たり前では無かったらしい、ということが研究室に入ってから分かった。

さて、そろそろ年末のお楽しみイベント、「大掃除」が迫る時期である。私はこの研究室での毎年の大掃除を、研究室学生の中でただ一人、心から楽しみにしている。

それは、掃除ができることよりもむしろ、「片づけ」と「整理整頓」ができることに喜びを感じるからである。

だから、私の中では言わば「大掃除」ならぬ「大片づけ」というお楽しみイベントなのである。

こうして、なぜだかわからないが無性に気になってしまう、という自分の性質と、うまく付き合っていかなければいけないよなぁ、と思う毎年12月です。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。