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2番目のかなしみ

小さい頃、5つ年上の姉がいつもうらやましかった。

5歳の隔たりとは、つまり、わたしがよちよち歩きをしていた2歳の時、姉はすでに読み書きができる7歳になっており、わたしが7歳になりやっと自我が芽生えた頃、彼女はもう立派に思春期を迎えている、という年齢差である。

そしてわたしが思春期を迎える頃、姉はすでにとても大人だった。
当時、姉がカセットテープに録音して聴いていたスピッツや小沢健二、マイリトルラバーは今でも大好きだし、マンガも姉が揃えていた別冊マーガレットの『恋愛カタログ』をこっそり盗み読んでいた。
(姉の彼氏はまったくもって高田くんではなかった)

身につけている物にも、例外なく憧れた。
黒い革のチョーカーとか、スパンコールのミュール、とか、白いニットのアンサンブルなどなど。

姉が持っているような物を、自分も欲しいと親にねだったことも何度もある。
そういう時は、だいたい「こういうのはまだ早い」という一言で一蹴され、とりつくしまもなく話は終わる。
身の丈に合わないものを欲しがってしまった自分がなぜだかとてつもなく恥ずかしくなり、モヤモヤとしたまま祖母が「すっごく似合う」と買ってくれたトレーナーをすごすごと着る。
それはそれで着心地は良いのである。


✳︎


20歳の頃、赤い振袖が着たいと言えなかった。
祖母や母や姉に「これがあなたらしい」と選んでもらった、黒い振袖で成人式に出席した。
繊細な手描きの菊が散りばめられている友禅で、黒でも華やかだったし、今となればシックな魅力もわかるけれど、あの時はただただかわいい赤い着物が着たかったのだ。
でも黙っていた。
周囲の大人が設定した「次女像」の取っ払い方がわからず、そういうふるまいが染みついてしまったのか、今もそんな性格のままだ。

結局のところ、何度記憶を辿ってみても、姉と同じものを持つという夢は、ついぞ果たされなかった。
そして、「あなたにはまだ早い」と言われたいつかのあの日から自分のお金で好きなものが選べるようになった現在も、
自分の好きなものを無邪気に好きだと言える女の子たちが身につけている〝きらきらした物〟を手に入れる「適齢期」をずっと見失っている。

✳︎✳︎

ところで、5歳離れた姉は、30歳目前ですごい気迫でお嫁に行き、その後、「絶対自分と同じきょうだい構成がいい!」と3人子供を産み、実家の近くに一軒家を買った。
いろいろ大変そうではあるけれど、今はすっかり母親然としている。
たまに「あんたが心配!」という旨の連絡が姪甥の動画と共に送られてくるが、その問いには適当に答えつつ、姪甥たちは元気かね?と叔母らしい話題にすり替えている。

わたしは、良い意味で欲しいものを全力で取りに行く姉の性格をひそかに尊敬している。
でも、あなたの妹であり、いまだ2番目のままのわたしは「お姉ちゃんと同じものが欲しい」とは、なんとなく今もずっと言えないままでいる。

本当は欲しいと言えなかったあれやこれやは、今もわたしには「まだ早い」んだろうか。
いや、本当は「もう遅い」のかもしれない。

今こそ、勇気を出して「欲しい」と言ってみたら、
姉は驚くだろうか。
初めからそうすりゃいいじゃない、と笑いそうな気はする。

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