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どうしてこうなるんだろう

先日からネットニュースや新聞でも取り上げられ、私にとっては他人事ではない話で、涙がこぼれた。

報道された内容を読むと、私は涙なしでは読むことができなかった。

障害や特定の病気をもっていると「できること・できないこと」は出てきます。だから、どうしても「辞退しなければいけない」ことはある。

しかし、「特別扱いはできない」として、書面で「できること・できないこと」を書かせ、他の住民にも公開するとした翌日、男性は命を絶った。

私自身、精神疾患の要素で軽い対人恐怖症と多汗症を持っている。友達と食事にいく時でも、わかる子は「しんどくなったら言うてね」「涼しい場所に移動しようか?」と気を使ってくれる。

娘が小学校入学時に、PTA役員選抜があると聞いた。医師にどうすべきか相談した時に「それは辞退して。診断書と意見書を書くから」と書いてくれた。私の症状としては、他人と多く接することはよくないと判断したからだった。

しかし、役員の人は「公平性の問題があるから、くじを引いて欲しい」と言ってきた。診断書や意見書を役員に見せると「教頭先生に言って欲しい」と訳のわからない説明を受けた。

教頭先生(小6の間ずっといてくれたからよかった)に申し出て、6年間のうちに3回当たった時に、いつも「すみません。今回も辞退します」というと「気にしなくていいよ」と理解を示してくれていた。

中学以降はというと、事前に調査書がきて「できない理由」を明記すれば、何も役は回ってこない。(念のために意見書を添付したので、問い合わせはきた)

ところが、この報道があった日に実家にいく用事があり、母と話をしていると「どうしてその子、家族に相談しなかったのかな?わからない」というから驚いた。

結局、母は私の病気の根っこの部分を理解していないし、話しても理解してもらえないことがあるから諦めていることも気がついていなかった。

亡くなった方は、自治会の役員の人に取り囲まれて、できること・できないことを2時間強要されて、心が耐えきれなかった。ご家族に相談すれば、救いはあったと思う。でも、自治会の人も普段の様子を見ていれば、自治会の仕事なんて無理なのはわかるし、公平性って言ってる場合ではない。

家族に相談する相談しないの判断は、その時の傷つきが深ければ、そして障害を持っていれば、「もう誰も自分のことを理解してもらえなければ、生きてても」と思うだろう。私もその経験をしたから。

私はたまたま周りが気づいてくれて、止めてくれたから、生きていられる。身内で理解できない人がいても、理解しようと努力してくれる人、理解していて助けてくれる人に恵まれてよかったのだと思う。

今回の話については、ご遺族側は提訴したけれど、自治会側は取り消しを申し出ていている。自分達が犯したことをなかったことにしようとしている。もう亡くなった人は帰ってこないけれど、きちんと筋は通さないといけない。

そして、今コロナ禍で、ちょっとしたことで喧嘩したり、もめていることが多い。これから「心のケア」が問題となるだろうし、思いやりや支え合いが大切と見直されることになる。

どうか、このような悲しいことは連鎖して欲しくないし、障害や病気がある人が差別や偏見の目で見られないように願いたい。

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