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【コルクラボ】お金では得られないコミュニティでの価値って何だろう

※今日感じたことを残しておきたくて急遽書くから乱筆乱文お許しを。

今日1か月ほど頑張ってきたコルクラボでの6期生の入会説明会のプロジェクトが終わった。1番最初に「じゃあ仲間集めからやってみる!」と私が決意表明をしたのは確か4月中旬の22時過ぎ伊東にて。18時半に商談を横浜付近で終え、ひたすら電車に乗りながらメールを打ち、資料を打ちまくり、PCの電源が切れ、それでもメールがさばききれず、モバイルバッテリーに社用携帯をさしながらメールの続きを打つそんな日だった。

つまり仕事が超絶繁忙期の中、私は「コルクラボで新規の人を迎える説明会のプロジェクトは私がやりたい!」と言った。すごい向こう見ずなやつである。何なら自分の意中の人に「ちょっと疲れてるから今週は会えないな」とか言ってしまう30代の女。いいのか優先順位それでいいのか。

いいのです。

何で私がここまで頑張ってこれたんだろうというのと自分がどんなことをコミュニティの活動から学んだんだろうということを雑然とだけどまとめてみた。

1.会社とコミュニティの違い

会社とコミュニティの違いって何だろうって考えた時、1番違うのはお金という利益の有無だと思う。会社で仕事をやると報酬がもらえる。「お金」は人を動かす十分な理由になる。それってつまり言い方選ばずに言うと、「お金」をちらつかせて人を動かすことができるってことだ。強制力が働く。
だけどコミュニティには「報酬」がない。なので協力してもらっても、私として何も返すものがないのだ。

なので1番怖かったのは、仲間集めだった。そもそも協力してくれる人なんているのだろうか。お金も出ないし、去年の12月に入ったぺーぺーの私と一緒に何かをやりたいって言ってくれる人なんているのだろうか。

これが会社だったら簡単だ。後輩に「ちょっとやってよ」といえば終わり。本人の意思とか関係なくても出来ることもある。後輩は「仕事だし先輩に言われたし仕方ないか」って思ってくれる。ある意味強制力でやらせるようなものだ。報酬という存在とそれによって発生する強制力の有無が1番会社とコミュニティの違いだと感じた。

2.仲間が私に見せてくれた景色

だけど仲間は集まってくれた。最初誰も来なかったらどうしようってオロオロしていたけれど、むしろ集まりすぎて贅沢すぎるじゃんどうしようってオロオロするはめになった。

で実際当日迎えたらマジで贅沢なメンバーだった。

迎えた当日はとっても不安だったけれど、皆が皆役割以上のことをすごく楽しんでやっていたように見えた。最初にアイスブレイクをしてもらったパントマイマーのノートを見たらびっしりと今日の流れが書いてあった。ランチでuberを頼もうとしたら注文できなさそうって気づいたら近くのカレー屋さんに電話して、出前の交渉をしてくれたメンバーがいた。当日説明会に来てくれた人に部活紹介を熱く語ってくれたメンバーもいて。

こんな熱量は与えられたお仕事だとかそんな強制力じゃ、絶対に出てこない。自分でこの場所に来るって選択したからこその熱量なんだろう。でもなおさら何でお仕事じゃないことにこんなに皆全力で出来るんだろうって疑問だった。

3.無償だからこそ大切にしないといけないもの

説明会が終わってメンバーと何人か話して。なぜ無償のプロジェクトにここまで皆頑張れるんだろうって考えていた。「関係性がkeyだ」という言葉を聞いて私はなるほど、と思った。

コミュニティのメンバーとは信頼関係でしかつながっていない。その信頼関係を構築し続けるためには「自分」を地道にアピールし続けるほかないんだと思う。もちろん仲が良いってだけでも人とは繋がれるけれど、「コルクラボ」にいるということは学びを得るためにコミュニティにいるという人が多い。
じゃあひたすら学びを得ようとだけすればいいじゃないと思うかもしれない。でもコルクラボはそういう場所ではない。待っていれば誰かが講義だったりプレゼンをしてくれるわけではなく、自分の興味があるものに飛び込んだり、自分で動いたら学びが得られるように設計されている。だからこそ自分が好きなものや興味があることを発信して、いろいろな人とつながって、その人たちに自分の出来ることを伝えて、お互いに学びあうという「関係性」が大事。

皆それが分かっているからこそ、自分の出来る限りのことをやり切る。やり切った結果お金では買えない「信頼」が手に入って、そこから自分の学びとか自分のやりたいことが手に入れられると知っているから。

4.なぜ私は報酬というモチベーションなしで頑張れたのだろう

じゃあそんなことを知らない私は、何でこんなに頑張れたんだろう?

1番根底にあった想いは先輩に恩返しがしたい、だった。

私は入会してから3か月くらい活動ができなかった。さすがに3か月活動できていないと、もうどこにもなじめないかなあって諦めていた。けれどイベントで会った時にコルクラボの説明をしてくれたり(もちろん誰にも頼まれていない)、部活に勧誘してくれたり、話すの向いてそうだから司会やってみなよって言ってくれたり、司会よかったよって話しかけに来てくれたり、そんなみんなの優しさの積み上げで、私はコルクラボに馴染めていった。

でもやっぱり最初の時を思い出すとどんなコミュニティか全然想像出来なかったし、てかコミュニティって何だよって思ってたし何ならみんなが優しいってことも楽しい場所だってことも全然分からなかった。こんなに楽しくて優しい先輩たちがいるのを肌で感じてもらいたい!楽しい先輩の雰囲気が伝わる説明会にできたらいいなあ。

それは先輩たちがお金をかけずこつこつ私と信頼関係を築いてくれたことで出てきた想いなんだって気づいた。報酬が発生していない、コミュニティだからこそ先輩の熱意とか私とちゃんと関係性を築きたいって向き合ってくれることのありがたさを身に染みて分かったし、だからこそ私は仕事とプライベートの合間を縫って、全力で向き合うって決めた。そうしないと私が与えてもらうだけの関係性になるってどこかで感じていたのかもしれない。

反省点は死ぬほどあって、見立てる力が足りないなあとかプロジェクトなのに目的を全然すり合わせしてなかったなあとか。この反省点は自分が磨くべき要素なんだって思う。仕事だとつい目の前のことに夢中で自分の磨くべき点を置いてけぼりにしがちだから、無償のプロジェクトをやることで自分の弱点も見つめられるんだなというのも新たな発見だった。

もっと自分の強みを磨いて反省点を改善して、もっともっと色々な人といろいろなものを創っていきたい。強制力がない中で「みよよと一緒に何かやりたいなあ」って人に成長したい。お金は出ないかもしれないけれど、お金より価値があるものを今よりもっともっと自分で得られるし、相手にあげられるひとになれますように。











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