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いつでも日常を過ごせると思ってたことが奢りなんだ

新型コロナウイルスの影響が大きくなっていく昨今、ついにわたしにも変えざるを得ないイベントが発生しそうだ。

それは6月14日に開催予定の私達の結婚式。2月末に結婚式場で打ち合わせた際にはここまで影響が大きくなると思って無かったので、完全にやる予定でいた。けれどここ最近になってオリンピックが延期になり、いよいよ結婚式の延期を考えざるを得なくなった。
それでも延期をそこまで重く受け止めていなかった、母親の無邪気な言葉を聞くまでは。

母に結婚式を延期するかもと話した時、返ってきた言葉は「延期をしたら、子どもはいつ産むの」だった。
33歳、周りは結婚式はとっくに終わり今は育児の話題で持ち切りだ。わたしが結婚したかったのは子どもが欲しかったというのもあるから、欲しくないわけがない。結婚式が終わって妊娠しても35歳出産。延びたらその分出産は後ろ倒しになり、高齢出産のリスクは高まる。

結婚式の延期は1度だけ。延期したら子どもを産む計画も後ろ倒しにせざるを得ない。

母にとっては単純な疑問だったかもしれない。けれど、わたしにとってはコンプレックスのかたまりをグサリと刺されて苦しかった。
お布団に入って、ボロボロ涙が止まらなくて旦那さんの隣でわんわん泣いた。

結婚式はわたしの区切りであり、希望だったということにそこでようやく気づけた。

「コロナの影響で結婚式を延期することになった」と言えば、普通周りの人は多分こう言ってくれる。
「そっか、残念だったね。でも延期した分素敵な式が出来るよ!」と。
それはその通りだと思う。延期しただけで、私と旦那さんの仲は変わらないし、結婚した事実も変わらない。式場もそのままで、日程が動くだけ。失うものは傍からみたら、ないだろう。

けれど、結婚式を延ばすことでわたしの人生は変わってしまったのだ。35歳までに子どもを産むのは難しいだろうし、旦那さんは異動がかかる可能性があって、もしかしたらこのままだと別で暮らすかもしれない。結婚式後に思い描いていた将来は大きく変わってしまった。

最初は何でこんなことになったんだろうと誰でもないなにかを責める日々だった。けれど、良くも悪くも新学期。そう、新年度なのだ。結婚式は区切りで希望だったけれど、新年度もまた希望なのだ。

新しいお客さんと上司と。初めましてのコミュニケーションをしていく内に、少しずつ心の変化が起きてきた。

コロナはわたしの将来を変えている、けれどそれだったらこちらも変え直せばいい。

正直まだ結婚式の延期は決断出来ていない。でも感染者数が止まらない状況を見ると、もう日程通りの開催は絶望的に近い。だから延期するとしたらどんな形がいいかという議論にこれからシフトしていくんだろう。
旦那さんと年明けからたくさん話して、結婚式が終わったら2人でゆっくりしたいということも語ってた。けどそれはしばらくお預けになる。
結婚式が終わったら、たくさん叶えたいことがあって、それごと延期になることが悲しい。他の人にとってはどうってことないかもしれないけど、わたしにとっては貴重な人生の思い描いていた計画が後ろに延びるのは辛い。

けれど同時にやりたいことは今どんな形でも踏み出さなきゃダメだってことに気づけた。いつでも日常があって、やりたいことが出来る環境にあるなんて奢りだったのだ。
人生はいつ形が変えられてもおかしくない、だったら自分からもっと変えていかないといけない

まだ気持ちの整理がついてなくて苦しいけど、ちゃんと気持ちが落ち着いたら、今までやりたくても言い訳つけてやれなかったことをやろうと思う。

今はちゃんと苦しいという負の感情を受け止めて、向き合っていきたい。将来の自分のために。

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