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毎日を丁寧に生きる

12月8日、コルクラボ運営ミーティングのランチタイム。それは万葉倶楽部でなぜか全員浴衣を着用して、昼間から酒を飲みつつご飯を食べていた。

ゆるーい空気の中、わたしは誰も見てくれないのが辛くなって、noteが書けなくなったという話をした。少し酒も入ってたからそんな話が出来たんだと思う。そもそも弱音を吐くのは苦手だし、絶対に厳しいこと言われるのは頭で分かってた。けど言わずにいられなかった。

コルクラボ主宰の佐渡島さんことサディは期待に裏切らず、きちんと厳しいことを言ってくれた。

誰も見てないから書けないって、じゃあたくさんの人が見たら書くの?自分を大切にしてくれる人だけに優しくするってことなの?見てくれているひとがゼロになることはないよ、見ている数人を大切に出来ないひとが大勢を大切に出来るとは思えないよ

ぐうの音も出なかった。

その時わたしはとても疲れていた。noteだけじゃなくて、本業の営業もうまくいってなかった。アポに行っても行っても数字に繋がらない。あまりにも行くのが嫌すぎて、アポの前にトイレに行って吐いたりアポがせっかくとれたのに電話を切ってから辛くて泣いた。
しまいにはコルクラボの定例会にも行けなくなった。人に会うのすら嫌になったのだ。誰かに会って話すという行為すら辛くなっていた。

そんな中あえて厳しいフィードバックしてくれたサディ。「自意識過剰になっている」からでは?という仮説もくれた中で1週間くらい原因を考えた。

そんなある日ぽーんと答えは出た。わたしは数をこなして誰かの評価を得ることで精神の安定を測っていたのだと。

去年ボロボロの結果で終わった営業、今年もやると言ったけどどうなるかすごく不安だった。そもそもボロボロで終わったから、わたしにどんな長所があるのかもはや分からなくなっていた。

どんどん若い子達が入ってきて、わたしよりも話すのがうまくて、たくさんアポも行っている。
そんな中わたしは結婚した。
33歳で結婚。もう周りは次の子育てというステージに行っていて、子育ては時間がかかって大変という話題でもちきり。
けどわたしは旦那さんと暮らすのもいっぱいいっぱいだった。みんなが子育てと仕事の両立大変って言っている中、すごく家事に協力的な旦那さんと一緒に暮らすのでさえも環境が変わって大変だなんて、なんか恥ずかしくて言えなかった。

だからもうアポにたくさん行くしかない。たくさん行って、頑張ってるねって言われたい。不安で仕方なかったのだ。何のスキルもないわたしがプライベートが変わっていっぱいいっぱいと言って、仕事で必要とされなくなるのが怖かった。仕事で必要とされなくなったら世界でひとりぼっちになるんじゃないかって思ってたのだ。

けど、サディのフィードバックを噛み締めてみて、人からの評価をいちいち気にするってことは自分が人を大切にしてる自信がないのかなって感じた。

仕事のお客さんも、旦那さんも、周りにいる友達も、コルクラボのメンバーも。
そもそもわたしは大切にしてるのだろうか。自分の都合のいいときだけ大切にしようとしていたんじゃないか。そして自分のこともおろそかにしてたんじゃないか。

周りのみんなを大切にしよう。そう決意したわたしが意識したのは「毎日を丁寧に生きる」ということだった。

まず仕事はいったん自分の中でアポ数を気にするのを辞めた。最低限の数だけ決めた。アポの数は大事だけど、それを第一にすると、行っただけで満足するしお客さんにも失礼だ。その浮いた時間は毎アポ終わりにお礼状を送ること、1ヶ月に1度好きそうな情報を送る時間に充てた。
始業時間も8時半に揃えた。今まではパつってる時だけ早くしていたけれど、そうすると上記のお客さんのための時間がとれなくなった場合おざなりになるので、普段から時間を作るようにした。業務が多くなければ早く上がればいいし。

プライベートは旦那さんがいる時は毎日自炊するようにした。例外なく、毎日。

自己満じゃないかとか言われるのはさておき、自炊の時間は旦那さんのことを考える時間なのだ。何食べたいかな、どんな感想をくれるかな。今日は食事の時にどんな話をしようかな。
だから毎日作る。旦那さんのことを考えない日がないように。

そして自分のこと。
旦那さんがいない隙に内省タイムを作るようにした。

辛いことも、楽しいこともノートに書いて昇華させる。
旦那さんがいて書けない時もある。そんな時のためにTwitterで寝る前には今日の振り返りを呟くようにした。

そんなことをちょうど1ヶ月続けて。
自分の気持ちがどんどん落ち着いていってる気がする。わたしはわたし。そして他人の評価を少しずつ気にしなくなってきた。

世界が優しくなったように見える。

けどそれは「わたしを評価してよ!」という人の関わり方から、「わたしが幸せな分おすそ分け出来る分はするね」って関わり方に自分を少しずつ持っていけてるからかなって思う。

辛い時にあえて厳しいフィードバックしてくれたサディにすごく感謝してる。(多分それがサディの素だとはおもうけど笑)

特別な日を大切にするのも素敵だけど、もう33歳。若い時みたいに特別なことってほとんどなくなった。結婚したから好きな人が隣にいるのも当たり前。

だったら毎日を大切にすればいい。ゴージャスに、スペシャル感溢れる大切さではなく、さりげなく、すこーし毎日ちょっと変わったかなくらいでいいから。

そんな大人の生き方をこれからもゆるゆるとしていこう。

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