見出し画像

わたしの中の想いが枯れてしまった話

年初の1月から毎週noteを書き続けると宣言をして8か月。とうとうこの時がやってきてしまった。

書けない。書きたいと思うことがない。


基本的には毎週土曜(最近彼とのデートが土曜なので日曜にさりげなく変更)わたしは書くのが楽しみだった。
日々書きたいことが溢れていて、自分の中の想いを外にだせるこの機会はストレス解消にもなっていた。

この8か月でいろいろあった。

仕事は一区切りついたけれど、仕事で一番勝負だった3月。わたしは他人もびっくりするくらいの営業成績で未達を出してしまった。わたしの営業のチャンスは年1回しかない。けれどそのチャンスを恥ずかしい位棒にふった。自分より全然達成に近い未達の人が自分に向いていないと辞めていく中でわたしは人にどう見られようともう1年頑張るという決断をした。

プライベートは婚活をしていた。ちょうどnoteを始めたころはボロボロになっていて、辞めようかと思ったくらい。それが再開した3月に今の彼と出会って、とんとん拍子に進み7月に婚約、来月入籍予定だ。

コルクラボの活動も始めた。2月に初めて会ったコルクラボメンバーに「わたしは何も活動出来ていない」と悩みを打ち明けた。そこからいろいろな人のサポートを受けて活動の幅が広がった。3月に合宿に行って色々な人と話して、コルクラボ運営をお手伝いするようになり、6期メンバーの説明会のプロジェクトリーダーをやり、自分が好きだったカラオケを存分にやるカラオケ部を立ち上げて、伊東潤さんの読書会に行ってめちゃ楽しくて毎回活動に行くようになって、クラウトファンディングという全くやったことないこともお手伝いしてみた。

こう書いていて気づいたことが1つある。

インパクト大きい出来事がありすぎて、日々の小さな変化に鈍感になってるから書けないんだ。


そう、2019年明けてわたしはいろいろなことに全力疾走をしすぎた。それ自体はとても良いことだ。たくさんの経験をして確実に自分の成長に繋がっている。けれど最近若干疲れてきたし、自分のこころは「これでいいの?」と常に叫んでいた。

理由は単純なことでわたしのなかの優先順位が変わったからだ。「成長したい、たくさんのことを経験して学びたい」から「今ある日常から多くのことを学びたい」に変わったのだ。

詳しくはまた別の機会に書きたいんだけどたぶん結婚するということが1番大きいんだと思う。彼と一緒にいて特に何もしていないんだけど毎日とても新鮮で。今までたくさんの出来事を経験したほうがカッコイイって自分の中でも思っていたけれど、そうではなくて1人の人やさりげない日常から多くのことを感じたり学んでもいいのではないかと思い始めた。

一方でまだ「今までのわたし」も混在しているからいろいろなことをやりすぎるのもまだ続けていた。「さりげない日常から何かを感じて、それをnoteにしたためたい」と思っているのに、経験とかのインプットの量は変わらずで、だから思考停止して書きたいことが見えなくなっちゃったんだろう。

ちょうど火曜から夏休みだ。友達に会いに行って、彼と関西旅行。向こうのご両親に挨拶するというメインイベントはあるものの、基本的には他のことは捨ててまったり過ごす予定なので、そこで自分は何を感じられるのだろううのがとても楽しみだ。

あとは今あることを少しずつ減らしていきたい(なかなか宣言していて実行に移せていない…)。染みついた思考ってなかなかとれないから急に変えるのは難しいけれど、日常の中での気づきを大事にすることを意識出来たら、行動もちょっとは変わってくるのではないかと勝手に自分に期待している。

自分の想いが溢れでる日まで焦らずに目の前の日を過ごしていこう。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?